福島県教育センター所報ふくしま No.87(S63/1988.8) -004/038page
‐随 想‐
「 は み 出 し 」 石
学校経営部 鹿 島 清
昨年まで,へき地のK小学校に勤務していた。
この地域も,他のへき地同様産業構造の変化とそれに伴う労働力の都市集中の波をうけ,人口の流出が激しく過疎化に悩んでいた。
しかし,このような中でここの子ども達の家庭だけは,すべてが祖父母同居,中には曽祖父母同居もあり,お互いがそれぞれの役割を自覚し責任を果し,大家族のもつ教育的機能が見事に働いていた。また,家庭内の誰もがこの学校の卒業生ということもあって,学校に対する期待と関心は大きかった。
この地域では,両親にかかる労働力の負担は相当なものであった。したがって子ども達の日常の世話は祖父母がみるようになる。そのため学校としても必然的に祖父母とのかかわり方も考えなければならなくなる。そんなことから保護者対象の授業参観の回数を減らし,年に数回祖父母参観日を設けてみた。
ぢいちゃん・ばあちゃんにとってこれが待ち望んだ学校開放の日となった。運動会・学芸会・敬老の日だけのお客さんと違い,この日は担任と孫達の学習や生活について話し合いをし,孫とのかかわり方を学ぶ立派な市民権を得た一日となった。
参観日の帰り,いつも校長室に寄って話をしていく常連がいる。養豚業,造園業,養蚕家,酪農家の四人である。いずれも田畑をもち農業も兼ねている。この人達は実に物識りだ。その上,この人達の強みは活字だけの知識でなく,実体験を通しての知識であるから味がある。
きょうも,いつもの通り四人がきて話をはじめた。昔と違い,今の子ども達がいかに恵まれているか,物質的,経済的,時間的,労働力の面から談義は続いた。話はこのあと,子どもの個性へと移っていった。かつての自分達の姿に今の子ども達をだぶらせ,何か物足りなさを感じながらの話の中で造園業K氏のプロの眼を通した話が味わい深かった。
「名工,石を選ばず。」ということばがある。庭師が庭づくりを頼まれたとき,形の良い立派な石だけを選んできて造っても,庭師としては,この庭の出来栄えに感慨もなければ,庭そのものも空虚で,見る人をして庭のもつテーマや安らぎを与えることもできないという。
名工とは,与えられた石を,その庭の条件(樹木,土,芝生,斜面,空間など)から,それぞれの石を多角的に眺め,その石の形から面や向きを決めて配置していき,全体としてバランスのとれた庭に造り上げていくのだという。しかし,この過程の中でどうしても位置の決まらない「はみ出し」石に出会うことが必ずあるという。この石が庭師にとってなかなか曲者で,居場所が決まるまで本当に庭師を手こずらせる。庭師とこの石との真剣勝負が始まる。庭師はこの石を近くから,または遠くから眺め,そしてあらゆる角度から見て石の特徴を見つけだし,いったんその石の座する位置を決めてやると,この「はみ出し」石はど庭の中で光彩を放ち,存在感を示すものはないという。
この話の中の庭師と石を,現在の学校教育の中の教師と子どもに置き換えたとき,何か大きな示唆を与えているようである。教師は心のどこかで,そうではないといいながら手のかからない子どもを求めているのではないだろうか。個性重視がさけばれ,学校の人間化がいわれている今日,曲者的な子どもほど,はみ出し的な子どもほど教師は心して接し,その子のもつ能力・適性をひきだし学校や地域でその子の存在感を確保してやりたい。校長室は公聴室であり研修の場でもあった。