福島県教育センター所報ふくしま No.88(S63/1988.10) -004/038page

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−随想−

自 然 と の ふ れ あ い

科学技術教育部 佐 藤 輝 夫

 時に過去を振り返ると,いまにも雨が落ちてきそうな笠雲が猫鳴山,二箭山の頂上をおおっていた。夕暮れ近いモミの薄暗い林を,リュックサックをかつぐ野郎共が5人,うねうねする峠道をくだっていた。眼下に見える低くたれこめた夕げの煙に,見えかくれする部落の灯がちらちらし始めると,あたかも心細くないかの如き顔をした野郎共も強がりを言い合った。今夜のテントはどこに設営するか。雨は降らなきゃいいが,敷草はあるのだろうか。……と心配のたねが次々と頭をかすめて通り,菖蒲平探索などはどうでもよくなっていた。それでもいささか心細さを伴った足どりはとても軽く,テント,毛布,米,ミソ,採集道具等をつめこんだ背中の袋も,そんなに重いと思わなかった。石灰岩の大露頭へ登る林道に,平らな所を見つけてテントを張ると,やっと落ちつき,冷たくて手がどリビリする渓流で炊飯をすませた。

 夜半,本格的な雨は,たるんだテントからポタポタ落ちて,中で傘をさし,しずくをさけること一晩,眠ることなど出来なかったがとても楽しい思い出の一夜であった。翌朝,消耗しきった顔つきで,スポンジのような落葉の小道をたどりながら,昨夜来の雨水をいっぱいたたえた草木の葉をかき分けると,びしょ濡れになった。ギンリョウソウのぬけるような白さは,気味悪かったが,オオルリの透る声,ウグイスのさえずりはすがすがしかった。ミズナラの葉にもたれたモリアオガエルの綿アメ状卵塊を初めて見て,オモチャ風カメラのシャッターを夢中で押したことを記憶している。

 大体において自然を学問の場とすることを余り経験していなかった野郎共は,この仁井田川渓谷踏破で岩を伝い,暑さと空腹の中での思いがけない化石を直接採取し手にした時の感動,緑青沢での結晶の美しい方解石を見つけた時の喜び,木にぶらさがり,クリノメーター(傾斜儀)で首をかしげるなどということを初めて体験し,自然から学ぶということを身をもって教えられたのである。

 帰ってから「菖蒲平に分布する石灰岩についてという大それた報告書を印刷した。小さな自然のしくみを知って勇んで帰った野郎共の目は,すでに少年ではなかった。!!

 しかもクリノメーターとの出会いはその後もあった。と言うのは,大学2年の地学野外巡検の時,指導教官が川の対岸の急傾斜の崖を指さし「佐藤,これであそこを調べてこい」と,例のクリノメーターを渡されたのである。あの時以来無縁であった私は,取扱かい方をすっかり忘れてしまっていた。それでもとにかく,あたふたとその崖にへばりついて何かを調べ,何事かを報告すると,教官はフムフムとさも合点がいったように肯づいておられたのである。実にもって冷や汗の一瞬であった。このクリノメーターの出会いが今思えば「地学」との出会いでもあった。

 その後,菖蒲平の石灰岩大露頭調査には幾度も足を運びいろいろな鉱物を採集した。特に石灰岩層の基底部と粘板岩との問に生じたスカルソ鉱床からは,バピントン右,方鉛鉱,灰鉄輝石,磁鉄鉱,黄銅鉱,黄鉄鉱等多数の標本を手にした。今も昨日のことのように思いだされる。八茎から千軒平を過ぎ,三森,猫鳴の分岐点を越え,三森渓谷に降り,渓谷沿いの道路を登るにつれて眺望が開け,太平洋が一望できる。この一帯は正に一幅の美しい絵であり阿武隈のスカイラインとも言える。

  この自然のおいたちや,自然のしくみを理解し,自然を尊び,自然に親しむ気持ち,感謝する気持ちをもちたいものと思う。


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