福島県教育センター所報ふくしま No.89(S63/1988.12) -002/038page

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特別寄稿(論説)

「柔 軟 な 心 を」

筑波大学教授 真仁田   昭

 高齢者社会の到来で,その対応のための論議が脹々しい。その一つに,高年者の心の健康生活の問題が取り上げられる。心理的にも健康な生活を可能とするためには,どのようなことが課題かということである。これを関連して,R・J・バビガーストは,老年期の発達課題として

 1.体力・健康のおとろえを受け入れた生活をすること。

 2.退職と収入減に応じた生活ができること。

 3.つれあいの死を受け入れた生活のできること。

 4.近所によい茶飲み友だちをもつこと。

 5.近隣社会の中で,それなりの役割を担うこと。

 6.家の中では安易で快適な生活環境を整え住まうこと。

 などをあげる。

 それぞれの課題は具体的でなるほどとうなずかせるものがあるが,それらに共通して強調していることがあるように思われる。それは,自分や周囲の状態・状況の変化を直視しそれを現実として認め受け入れ,その変化に柔軟に対応することが大事ということであろう。柔軟さが失われてかたくなであり過ぎては,心の健康は保てない。変化に対してしなやかな強さをとの強調である。

 同様のことを,未来学者のA・トラフーも強調する。招かれて来日した時,NHKのアナウンサーが,「この変化の激しい現代社会の中で,人が生き残れるための条件は何か」と問うと,彼はひと言,「それは変化に強いこと」と答えるのである。現代人に期待されるものは,柔軟な対応力と彼もいう。

 その柔軟な対応力が,医療や教育にかかわる者に期待されることはいうまでもない。ある研究者は,精神療法にたずさわる医師において,治療上手か否かを左右するものは,その柔軟さの度合であるとする。精神療法の原則は守りながらも,患者の実情に応じて応用のきく医師と,学習したことをそのまま紋切り型にどの患者にも適用しようとする医師との違いであるという。それは精神医学の知識や技術の習得の程度の相違より,ずっと大きな逢いを生むとするのである。

 先生の教育活動においても,まったく同様のことがいえる。子どもの実情や成長に応じて,適切な対応が必要なことはいうまでもない。例えば,研究授業などでよく手にする授業案,導入から展開そして終結とよく吟味され作られていることが多い。しかし,実際の授業の展開ではそれにこだわり過ぎる余り,予想と異った子どもの動きが現われても,その動きを無視して一方的に進めてしまうことがある。子どもにかける言葉でも同様である。権威をもって教えさとす言葉も必要であるが,時には子どもを信頼しその心に語りかける言葉だってあってよいであろうし,時には先生が一人の人間として思い考えることを卒直に語る言葉もあってよいはずだ。また,時には子どもが自分の心を改めて見直すキッカケをつくるため,子どもの語ることを簡潔にまとめて返す言葉が適当な場合もある。その時々の子どもの指導的課題と心の状況を把握して,折々に言葉の選択が柔軟にできることも必要なことである。

 それらにも含まれることであるが,教育活動は,教育についての考え方,子どもについて理解していること,指導の方法などに対する確信がなくてはならない。しかし反面,自分自身が信ずることについて問いを設け,科学的な吟味を繰り返すこと,そして時にはそれを修正することが可能でなければならない。ところがこのことは案外に困難


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