福島県教育センター所報ふくしま No.89(S63/1988.12) -004/038page

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-随 想-

忘れ得ぬ人々の心

教育相談部 阿 部 貞 夫

 昭和38年7月○日。私は,上野の文化会館大ホールのステージのそでで,多くの人々の善意により必要な楽器を100%間に合わせることができたという感激で高ぶる興奮を抑えながら,30名の子供達が合奏する音・とりわけオルガンの音に耳をこら、H先生の指揮ぶりを凝視していた。

 全世界の音楽教育にたずさわっている先生方の研究会である国際音楽会議のアトラクションとして,当時私の勤務校であったK小学校の合奏団が招待されて演奏したときのことである。

 これは,K小学校の合奏団が,36年度と37年度の2年連続で日本一の座に輝いたことを認められての招待だったようである。

 演奏曲は前年度日本一になった曲と指定されていたので,中学一年生になった前年度の団員を借りてきての練習だったために,指導のH先生は大変なご苦労をなさっていたようだった。

 私は,そのご指導の下働きをするかたわら,上京にあたっての楽器運搬や団員等の交通・宿舎に係わる一切のことを任された立場にあった。

 東京との連絡をとりあう一方,学校と保護者とが一体となった上京体制をなんとか整え,いよいよ出発。かねて予約の宿舎へ。

 そして,夜の練習。朝も最後の調整のための練習。会場で借用するピアノとオルガンは,ここにあるつもりで……。

 いよいよ会場へ。そしてどん帳の降りているステージで楽器の配置にとりかかった時,H先生のかん高いスットンキョウな声が耳に響いた。

 「アレーツ!電気のオルガン?」

 ほしいのは“足ぶみ式”の音なのだ。

 ウカツであった。当時,東京では,足踏み式のオルガンは少なくなり,そのはとんどが電動式になっていたのを知らなかったのである。

 さあ困った。どうしよう。開演まであと30分程。

 その時誰かが「近くに小学校ないかな?」と口走った。ちょうど居合わせた係員の「下谷小学校があります!」を,天の助けと思った。

 が,足踏み式があるか?運搬は?時間がない!

 係員によれば「有る」と言う…足踏み式が。

 運搬?パトカー依頼できないか?一か八かすがってみることにした。万が一の場合は電動式で我慢することに話を決めて‥‥‥。

 電話機へ走って110番。大げさに言えば泣きながらお願いしたという感じ。やっと了解していただけた。警視庁に連賂して上野公園のパトカーを向けると言う。有難くて有難くて‥‥‥。

 下谷小への連絡を頼み,会館の玄関へ走る。

 信じられないほど早くパトカーが来た。サイしンを鳴らしながら‥‥‥。その頼もしかったこと。

 下谷小へ着いたら,何人かの先生が,すでに例のオルガン2台を道路ぎわに出していてくれた。

 有難くて,胸に熱いものがこみあげてきた。

 パトカーの警察官は,後部座席を手際よくはずし,先生方と力を合わせてオルガンを積み,私を乗せ,またサイレンを鳴らしながら,一方通行区間も逆走して会場へ向かう。私は,何とか間に合ってくれ…と祈りながら……。

 あれから四半世紀も過ぎた今,それ以降の記憶はあまりないが,待ち構えていた何人かの手でようやくオルガンをステージに運び込んだとき,閉演のブザーが鳴っていたのだけは耳に残っている。

 “国際音楽会議”に係わる事とはいえ,東北の片田舎から出ていった私共の不手際をカバーしてくれるために,あんなに真剣に取り組んでくださった係の方々・110番の担当者・パトカーの警察官・下谷小学校の先生方の温かい心に,今さらながら,深く深く感謝の誠を捧げるものである。


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