福島県教育センター所報ふくしま No.89(S63/1988.12) -005/038page
所員個人研究−小・中学校道徳
「新しい発見」のある道徳の時間をめざして
学習指導部 渡 辺 博 志
「道徳の時間」の質的充実がさけばれて久しい。道徳の時間は「結論が分かっている」と答える子どもたちの実態がある。(国立教育研究所「道徳教育の基本的動向と課題」<1985年>によると小学生は33%,中学校では58%が「分かっている」と回答している。)今,道徳の時間には,そのようなさめた視線を「自分のとは違った多様な価値観」「いたらなかった今までの自分」の発見など自己の内面へ向けるあついまなざしへと変容させていくことが求められているといえよう。
当センターの小・中学校道徳講座を受講する先生方が提起する道徳の時間の問超点を分析した結果でも,多いのは,1 価値の主体的自覚のあり方 36例 2 発言内容の一元化 32例 3 発問の妥当性 29例 である。(授業案をもとに考察を加えた資料55例の分析より)
本稿では,「子どものものの見方,考え方の生かし方」と共に,「価値観の主体的自覚」のさせ方の一方策について述べていく。
1.一人一人の多様な考えを引さ出す
上記,道徳の時間の問題点「発言内容の一元化」を次に許しく述べる。
○ 「それは良いか,悪いか」などの二者択一の話し合いになりがちである。
○ 本音がでない。教師の予想した範囲の考えしか出てこない。
○ どこからも異論の出ない考え方が始めから出てしまい,それに追従しがちになる。
○ 子どもと教師双方が,それとなく考えている
結論(答え) に向かって進む。子どもたちは興味をなくし,教師は「もっと他にないか」を繰り返す。「新しい発見」がない。
この解決には,発問,板書,学習活動の構成が大きく影響してこよう。綿密な資料分析,緻密な児童の実態把握に基づいた授業設計の必要性は論を待たない。しかし,道徳の時間の中で,子どもたちが一番生き生きと活動すべき「話し合い」のあり方に特段の工夫が要求されよう。
この「話し合い」活動を,展開部前段―高められた価値の追求に限って言えば,これまで「意図的指名」や「価値観の類型化」の有効牲が多くの実践の中から報告されている。
意図的指名には,子どもの価値観をいくつかに類型化したとき,異なる価値観をもつ子どもを意図的に指名することによって,話し合いの効率を上げるねらいがある。確かに,同意見の繰り返しをさけたり,論点を明確にしたりするなど話し合いが生産的になるメリットはある。
しかし,先生方の悩みはそれ以前にあるようである。つまり,話せない子どもの現実が大きな壁になっているのである。何でも話せる学級づくりには,人間関係の耕しと学習訓練が大切だという考えがある。人間関係の耕しには異論はないものの,心の教育に学習訓練はどうだろう。
話すという活動が成立するには,技能と内容と意欲が必要になる。技能と意欲は他の学習からの転移も可能であるが,問題は「話す内容」であるる。
子どもたちは,道徳的価値に対して話すべき内容をもっていないのであろうか。
L・コールバーグ(元ハーヴァード大学教授・同道徳教育センター所長)は,子どもたちの道徳的価値観の発達は,その判断の「理由づけ」に表れると述べている。コールバーグの道徳教育理論は,価値葛藤を内包する問題の提示,子ども同士の討論等,そのまま教室に持ち込むには難しい問題を含んでいる。
しかし,筆者は,その中の「理由づけにその子