福島県教育センター所報ふくしま No.89(S63/1988.12) -017/038page

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教育相談 紙上カウンセラー講座

教育相談へのいざない(14)

−家族カウンセリング−

佐久間 益 郎・赤 塚 公 生

 最近,「家族カウンセリング」や「家族療法」といった言葉をよく耳にしますが,これらは前回まで学んできたカウンセリングとどう異なるのでしょうか。

 伝統的なカウンセリングは,個人の自己成長や自己実現を助けようとするものでした。個人が,“グループ”になっても,グループの活力を利用して個人の成長を図ろうとする点では同じでした。

 しかし,家族カウンセリングは,家族そのものを対象とします。家族内の人間関係が相互的に影響しあって個人の問題を作り出していることに注目し,家族関係のあり方−家族システム−をみつめ直し,健全化していこうとするところに特色があると言えます。

 今回は,その基本的な考え方を紹介いたします。

ダ・ビィンチ「聖母子」から(部分)

ダ・ヴインチ「聖母子」から(部分)

 なぜ,いま,家族カウンセリングか?

 家族は,原始時代より,人間生活の最も基本的な単位でした。個人は家族のなかで成中し,文化を継承し,自立してきました。しかし,同時に家族内の人間関係が時に深刻な葛藤を生み出し,悲劇に至ることも少なくありませんでした。

 オイディプス王における父と息子,王女エレクトラーの母と娘の愛憎と悲劇。古代人は,家族間係のなかの深く根源的な生の苦しみを,神話や悲劇といった形で語り続けてきました。

 さて,近年,治療技術としてカウンセリングの成果が明らかになるにつれ,逆に家族関係の病理とその解決が課題として大きく浮かび上がってきました。

 少年院ですっかり立直ったはずの少年が,家庭に帰るとまた同じ問題行動を起こす。しかも,反省の色が乏しいということで,さらに厳しい処置を受ける。

 ほとんど治癒したはずの精神病患者が,家庭に帰ると病気を再発させ,何度もそれを繰り返す。

 こういった現象は,問題の核心が個人というよりもむしろ家族関係そのものにあることを示唆しています。しかも,恐ろしいことに,家族の一人ひとりはそれに気付いていないことが多いのです。

 ある「不登校」のケース

 家族カウンセリングについて,次のケースから考えてみましょう。  *人名はすべて仮名です。

 佐藤圭子が,小学校4年の一人娘,カオリをつれて相談に来たのは,昨年の6月のことであった。圭子によれば,カオリは4月以来3日間学校に行ったきり不登校の状態にあるという。
 もともと病弱だったため,最初は風邪くらいに考えていたが,4,5日してそうでないことに気が付いた。あわてて,問いつめたりむりやり学校にやろうとしたがうまくいかなかった。
 その後は,登校を迫ると発熱や頭痛を訴えるが,普段はおとなしく家のなかでテレビを見

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