福島県教育センター所報ふくしま No.90(H01/1989.2) -003/038page
あるが,その貴重さの認識,特に年中行事・祭礼慣行・民俗芸能などは無形文化財の分野も多く,小学生などの子供の参加する場合は,学校教育の立場から言々もされ,戦前などには統制教育のためか,どうか,一部抑制・禁止された場合さえあった。
特に神事の託宣,巫女の口寄せなどは,民間信仰の流れで,価値認識のしようによっては,抑圧,禁制のうきめに会い易い。これを現代感覚からどう取扱うかは容易でない。道祖神や三匹獅子舞などの男根などの指揮棒的な役割をどうするかも,頭を悩める。
4.若干の無形文化財の認識
田島町に「ななほかい」という行事が祇園祭にある。これには頭屋制が確立しており,専任の神官はあるものの,その以前の東屋での祭祀の古い様式の名残りがある。未婚女性の捧げる供物のほかい行列にのみげんわくされないで,祭祀の古い様式が無形文化財として,よく名残りを止める価値認識をしたいと思う。
いわき市御宝殿熊野神社の「びんざさら」は,恐らく日本でも古い様式を伝えるものであろう。この神事に免鳥の棒倒しや,馬上の神農に神を宿らせるものなどが残っている。神事に民俗芸能を奉祀する古い様式が,現物の資料で残し,伝えてくれていることは有難いことである。古代集杷様式の,生きている現物歴史資料としても貴重である。
中通り地方には,阿武隈山地の細かな山ひだに住みついている村や町に,多くの貴重な神事や民俗芸能が,よくも明治維新後の衰退期を乗りこえて保護されたものであると,その神社,社家,壇家の人々に有難いと頭の下る思いである。
棚倉の八槻都々古別神社の御田植などは,特に古風で社家の人々がよく保存していてくれたものである。古寺山の自奉楽などは,田植踊りと平鍬踊り,これは恐らく水田農業と畑作農業の予祝祈願であろうが,それに村中安全を祈る獅子舞を併せて三部曲として奉納している。このような村々の編曲芸能を考案した芸能家もかつては村にいた。
これらの民俗芸能には味深いものがあるので,教育の面でも利用してほしいと願っている。
5.文化財の源流探究
しかし東京に出て,大学で地理学・民俗学を講じはじめてみると,東北地方を主とする郷土研究にだけ主目標をおくわけにもゆかず,最初は太田耕造氏に招じられての亜細亜大学であったから,中国・東南アジアに旅をつづけて,後半は創価大学で創位者池田大作氏よりシルクロードの仏教伝承路の研究課題を託されたので,その現地踏査を始めた。
もう地理学講義は世界を舞台とし,民俗学はイスノロジーの分野に踏みこんで,日本文化の源流を模索する研究へと移っていった。そして東北地方に根深い巫女のおしらさま・おしんめいさま信仰が,ツングース族のシヤーマンに,蛮・桑樹に対する馬娘婚姻譚伝承が,中国古代の六朝志怪・捜神記に虎に見えていることを知った。
シルクロード研究では,仏教伝承の先駆をなしたのは仏舎利を祭る卒塔婆・サンスクリットの であり,飛鳥寺・四天王寺・法隆寺の前身まで仏舎利を祭る五重塔が,南大門・中間の兵正面にあったのに,どうして間もなく崩れて,金堂中心の寺院配置になったか。
これらは納得するまで研究に餘生が貸すかどうか。再び東北に研究を戻して追求しようと念じている。
6.文化財の活性化への念願
そして再び郷土の文化財の再認識・保護の現状を振りかえってみると,やはり現代生活におき去りにされている観がする。その活用,近年村おこしの活性化が叫ばれているが,伝統的文化財の認識・再活用を,もっと教育の面でもとりあげてよいのではなかろうか。
今,私は八王子市にいるが,八日町は勿論市日の名残りである。会津若松市の七日町もそうである。商店の大売出しにどうして伝統を生かせないのか。昭和村のからむし織・下川崎の紙すきなどの再認識も貴重であろう。学童の祭礼参加なども文化財的価値の貴重さを説いて,心からの参加を願っているが,どうであろうかと提言してみる。