福島県教育センター所報ふくしま No.90(H01/1989.2) -004/038page
- 随 想 -
「教師の持つ人間性」
科学技術教育部 峯 島 和 彦
人間がたった一人で生きていくことは不可能である。鴨長明は方丈の庵に隠棲して俗世から離れたが,それは全く狐立した暮らしではなく,またロビンソン・クルーソーも生涯にわたって一人で生きてきたわけではない。「人間」は,その文字が示すとおり,人と人との関係の中で生きることができるのであり,その関係の中で人間としての成長が図られるのだと言われるが,正にそのとおりであると思う。
「人間性」という用語の意味について,広辞苑では「人間の本性,人間らしさ」とある。また,大言海には「人の根本性に触れる味わい」と示されている。このことから人間性の概念を平たくとらえれば,「その人なりに持っている人間らしい味わいや良さ」と言うことができるであろう。
人間は,それぞれに顔かたちが異なるように,物の考え方,感じ方もみな違っている。しかし,そのだれもが人間の本性としての固有の味わいや良さを持っている。そして,この人間らしい味わいや良さ,つまり「人間性」をよりどころにして生活し,その生活の中で自らを反省し,さらにより良い生き方を求めて努力する。この姿があってこそ,人間牲の成長がはじめて期待できるのではないだろうか。
臨教審答申の中に,現在の学校教育全体をとおして特に欠けているものは,人間関係の中での感激や感動の体験であるという指摘が見られる。
子どもが教師のことばに感動する。教師が子どもの真剣な姿を見て感動する。そして,子どもや教師が優れた作品や教材に出会って感激する。このような生活体験が全体として乏しいことは,否めない事実であろう。これらのことを改善するためには,教師と子どものさまざまな心の触れ合いや,広く人間の生きかたについての道徳的価値との出会いなど,日ごろの充実した心の体験をとおして,感動や純粋な感激を一つ一つ心に刻みこませる働きかけが必要になると思う。
このように,人間的な感動場面を数多く設定することも大切であるが,豊かな人間性の育成という今日的課題を解決するにあたって,最も大きな影響を与えるのは,子どもを指導する立場にある教師自身の持つ人間性と,学校生活における人間関係ではないだろうか。
教師が子どもに対して,自分自身が今日までの生き方として身に付けてきた人間性を,率直に表して接することによって,円滑な好ましい人間関係を醸し出すことができるはずである。
さらに言えば,教師が自らの生い立ちやこれまでの生き方の中で感得したことをとおして自分を語る。子どもも自らの心を開いて語りかける。そのような関係の中で子どもは教師の人間性を肌で感じ取る。そして,親切,誠実,信頼など対人関係の基本的な価値の尊さを心に刻むことができるようになる。こういうことが集団の中で他へも作用してくると,全体が望ましい方向へ進むようになる。このような一連の作用の中で,教師自身の持つ人間性は非常に大きな役割を担っていると言うことができる。
「その人なりに持っている人間らしい味わいや良さ」は,端的に見れば道徳性ととらえることができる。これは前述したとおり人間性そのものである。つまり人間性と道徳性とは概念として同一であると考えることができる。
学校教育の中で,教師が子ども一人一人の「心情」,「判断力」,「態度」,「意欲」などの内面的な人間性の理解に努めることにより,教師自身の人間性が啓発され,その幅や深さが増して教師の人間怯も高まって行くと思われるのである。