福島県教育センター所報ふくしま No.93(H01/1989.11) -034/038page
自己反省の機会に
_教育研究法を受講して_伊達町立東小学校教諭 八島みよし
学校の中にいると,今の今やらなければならないことに追われたまま一日が瞬く間にすぎていく。そんな中で,私は,昨年,教育研究法の研修生として一つのことをじっくり考え取り組める機会を得ることができた。初めは,年間三期の長期にわたる研修であることや個人の研究テーマを掲げての研修であることを聞き,心に重いものを感じながらの参加であったが,これまでの自分の指導の手立て,あるいは授業研究への取り組みを反省するよい機会となった。
これまでそれぞれの勤務校で先生方と研究を共にしてきたが,振り返ってみると,どんな研究テーマを掲げても自分の授業は何も変えることができなかったように思う。そして,研究テーマなど言葉を変えているだけでやるべきことはみな同じなのではないかとさえ思っていた。しかし,この講座で学んで,これまで自分のしてきたことが単なる授業実践にとどまっていたことを思い知った。
目前にいる子どもたちの何が問題なのか,そのために教師は何をどうするのかという問題解決に迫る手立てが実に重要であり,それがまた問題点と指導と評価を貫く柱となるものでなければならないことが分かった。これまでは,この手立てが具体性に欠けあいまいであった。さらに,その手立てをもって働きかけた結果をどう評価するのか,授業のどこをどう見つめるべきなのかという点でも取り組みに甘さがあったことを痛感した。
最終講座で研究発表を終えて学校に戻った時,ほっとすると同時に何かしらさわやかな気持ちで子どもたちの顔を見ることができた。この研修を教師としての自己反省の機会とし,ここで学び得た「目」をしっかりと自分に向けて,日々のささやかな教育活動の中で自分の授業を少しでも変えるべく,今後努力していきたいと思う。
中学校教育工学講座を受講して
会津若松市立第三中学校 教諭伊藤 信孝
「教育工学は教育に機械をもちこんで効率をあげることだ」などという,狭い非教育的な教育工学観しか持ちあわせていなかった私は,受講する中で全く異なった,はるかに広い構想をもつものであることに驚かされた。
確かに,OHPの効果的な活用法やTPの製作技法,あるいは学校におけるこれからのコンピュータの利用などを改めて知る機会とはなったが,真の教育工学は,教育の過程に関わる操作可能な諸要因を動かし,教育の効果を最大限にあげることを目指して実践し,その結果によって,諸要因の動かし方をたえず改善していくものであり,教育機器は諸要因のひとつにすぎなかったのである。
具体的には,教育工学は,自己教育力の育成や個性化教育というものを内包した上で,学習過程の組み方,教育機器の利用,教師の適正配置,生徒の質的差異,学習集団の組み方,さらに創造性をのばすために適切ならば,学習意欲や教師と生徒のスキンシップでさえも要因として動かすものであった。
特に教師としてスタートしたばかりの私にとっては,長年の経験とカンにもとづいて,独自の方法を作りあげ,実践し,結果をみて,さらに良い方法を考え出してきた諸先輩方の名人芸に見習うべきものがある。
ところがこの名人芸は,その場に関与するあらゆる要因を適切に組織し,教育効果を最大にするものであり,教育工学のねらいとするところを,現実に具体化しているものなのであった。
これらのことから,今後,私自身が長い教職生活をおくる上で,教育工学がおおいに生かされるべきものであり,より一層,探究していかなければならないことを痛感したのである。