福島県教育センター所報ふくしま No.94(H02/1990.2) -001/038page

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巻頭言

教育相談部長鹿島清

”専 門" と ”役 割 り”

教育相談部長  鹿島 清

 私どもの教育センターで実施している学校カウンセラー講座は毎回受講希望者が多く,研修者の評判も大変良い。研修者に感想を聞いても,明日からのそれぞれの教育現場における課題に向けておおいに役立つ内容であったとか,また,あらためて自分の教育観を確立したと述べる先生方が多い。このことは,県内の先生方の研修を担当する私どもとして,大きな励みとなり,より研修を充実させようとする意欲の支えともなる。

 ある席で,私はこのことを一人の医師に話したことがある。その時のこの医師から返ってきた言葉に,私は世間一般の教師に対する評価をみたような気がした。その話の内容は「なぜ教師にカウンセリングの研修が必要なのか。教師たる者,その資格を取得し,教師として実際子どもと相対しているその過程において,人格的にすでにカウンセリングマインドは形成されているのでないか。逆にいうと,カウンセリングマインドがあるからこそ教師になったのではないか。」ということであった。

 折しも,文部省は臨教審の提言に基づき,平成元年度初等中等教育白書を公表した。この中で”学校教育の問題点"をいくつかあげ,特に現在増え続けている児童生徒の問題行動,とりわけ登校拒否や高校中退という学校不適応が顕在化してきたことを重視し,この対応には”教育の専門機関としての学校の役割"が極めて大きいと指摘していた。私はこれを読み,先ほどの医師の言葉とダブらせ,教師はあらためて「専門」と「役割」という言葉のもつ意味を見直さなければならないと感じた。

 ご承知のように教育現場における児童生徒の問題行動は年々増加し,その子ども達の心やその問題行動の背景は非常に複雑な様相を呈している。このような中で,従来行われてきた対症療法的な,または訓育的な生徒指導には自ずから限界があり,その指導成果はあまり期待できない。まして,このような消極的な,そして管理的な指導で教師としてその役割を果していると錯覚をもたれたとき,問題解決は更に遅れ,子どもとの心の離反は自明の理である。生徒指導における教師の役割は,あらゆる場において,個々の児童生徒の心情を理解し,受容的共感的態度で接し,信頼関係成立の上での指導援助により,その子どもが自己実現をめざすことをねらいとするはたらきである。いわゆるカウンセリングマインドを身につけた教師が,教育相談的手法で児童生徒にかかわってこそ,その役割を果したといえるのである。世間の人々は,すべての教師がこのような力量を持ち,毎日の教育活動において展開していることを信じ,また,期待もしている。役割とは,単なる役柄を一方的に演ずることでなく,演じたことによって自分も生き,相手も生かすことである。このように,役割が機能したとき,はじめて,その道のプロとしての専門性が確立されたといえるのだろう。


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