福島県教育センター所報ふくしま No.94(H02/1990.2) _002/038page
特別寄稿「作文教育の今日的課題」
福島大学教育学部教授
1. はじめに
高野保夫文章をつづることは,人間がもつ表現行為の一つであり,創造的な営為である。作文教育の目的は,言語による表現行動を通じて自己および自己を取りまく世界・物事についての認識を深めつつ,よりたしかな自己確立をめざすところにあるといえる。
今回,学習指導要領の改訂にあたって,従前以上に文章表現力の重要性が強調されていることは改めて言うまでもない。とくに,作文の指導時数が具体的に明示されたことは,従来よりも一歩踏み込んだ点であり,教育課程編成の問題とも絡んで教育現場への影響は決して小さくはないはずである。それが,作文教育を進める上でプラスの面に作用するのか,改訂の意図に反して作文嫌いの子ども(教師も含む)を増大させるのかは,今後の実践の展開に侯つしかない。今まで以上に慎重な取り組みが求められようが,さしあたり,次の点については十分配慮する必要がある。
まず第一には,作文指導の現状認識を率直に出し合いながら,指導のあり方を実践の具体レベルで一度見直してみることである。第二には,文章表現の系統的指導をどう進めるかという観点から,作文指導のカリキュラムづくりについての検討を早めに開始することである。
2.作文指導の現状と実践課題新「要領」における今回のような措置の背景には,従来作文にあてる授業時数が十分に確保されてこなかったという事情,あるいは小学校に比べ中学校の場合,書く活動が敬遠され指導場面が減少しがちであるなどの理由が考えられる。一方,文部省が実施する各種の調査結果などにみられる作文力低下の実態もその要因として働いていよう。
いずれにしろ,このような動きは作文教育の現 状についてのいわば危機意識の表れとみることができる。児童生徒を直接指導する現場の教師がこれをどのように受け止め,実践の次元でどう具体的に対応するかについては,大きな関心を払わざるを得ない。もし仮に,時間数を形式の問題と考え機械的な操作で帳じりを合わせたり,理解領域との関連指導のなかで表現活動の場面をある程度確保すれば事足れりという姿勢に終始すれば,問題の解決にはほど遠いことになる。
作文指導のあり方をめぐっては,指導目標をどうおさえるか,各段階の指導の重点事項を実践の実際場面でどう具体化するか,関連指導に先立つ問題として文章表現指導の系統・体系をどうするか,指導方法や教材の開発をどう進めるかなど,問題は多い。児童生徒の表現の実態と指導上の反省点とを率直に提起しながら,作品についての共同研究を徹底させ,表現の質を高めるための指導法についての改善工夫が強くのぞまれる。しかし一方で,作文に関する今回の措置は,教育界の硬直化,画一化を批判した臨時教育審議会答申の精神に反する動きではないかとする指摘がないわけではない。
具体的な時間数を指定するという,自由化に逆行する方向において充実・強化しようとしている。/作文指導を充実することに反対ではないが,それは各学校・現場のおかれた状況のなかで,現場の自由な運用にまかせてしまうという風にはできないものだろうか。(大西忠治,「教育科学国語教育」誌410号,P177)
大西氏の批判の対象は,実践現場の教師にというよりは,むしろ,文部省ないし小・中・高校の教育を高い立場から指導する教育行政機関全体に向けられているものと思われる。実践主体の自由性の保障と作文指導の充実・発展との関連を考え