福島県教育センター所報ふくしま No.95(H02/1990.6) -002/038page
特別寄稿(論説〉「総合的学力」育成の課題
一今年度の本県高校入試の結果を考える_福島大学教育学部長 庄 司 他人男
新聞の報道によれば,本県の今年の高校入試では,「昨年に引き続き[書かせる問題」「基礎的事項を組み合わせた問題」などの総合力を試す出題に答えられない生徒が目立った。」(「福島民報」平成2年4月19日朝刊)とのことである。つまり,総合的学力が弱かったということであろう。
授業による人間形成という教育本来の目的からみても,断片的な学力よりは総合的な学力が重要であることは論ずるまでもない。また,総合性には相互性も伴うので,総合的な学力があれば断片的な設問にも対応しやすい場合が多いのである。
したがって,本県で高校入試に総合的学力を試す出題を取り入れたことは,教育の質的改善につながるものとして高く評価されてよいであろう。
このような観点から,指導上のいくつかの基本的な課題について考えてみたい。
1.学カの確実性と総合性
授業研究などでは「確かな学力」という表現はよく用いられるが,「総合的な学力.が強調されることは希である。
では,学力は「確か」でさえあれば,自然に「総合的」に働くのだろうか。どうも,そうとばかりは言えないようである。今年の例で言えば,「四角錘の体積」や「奈良時代に国分寺や東大寺の大仏がつくられた 目的」を書かせる問題などが思わしくなかったと言う。
前者については,公式を忘れてしまった生徒には手も足も出なかったのかもしれない。四角形の面積なら出せるが,そこから先をどうするかが分からないという生徒もいたであろう。後者については,建立された年代や建立者なら知っているが,「目的」は おぼえて (暗記して)おかなかった,という生徒もいたかもしれない。
なるほど学カは「確か」でなければならないが,今日ではその面だけが偏重されてはいないだろうか。そして,確実性だけならば,反復練習と暗記主義である程度の成果は上がるが,総合性となるとそうはいかない。ただし,実際には個々の知識も,それら相互の関係や総合的(全体的)な関係がとらえられないと,確実性も身につかない場合が多いのである。ここに暗記中心主義の大きな限界がある。
このようなところから再検討しないと,「総合的学力」は容易には育成できないのではなかろうか。それで次に,再検討のための若干の視点を提案してみたい。
2.「理解」とは「関連する世界が広がること」
総合的学力が低いのは,結局は生徒がその内容をよく「理解」していくことが最大