福島県教育センター所報ふくしま No.95(H02/1990.6) -017/038page
随想「心」 二題
教育相談部長 阿 部 貞 夫
◆ 昭和41年初冬,当時東京芸術大学作曲科の小林秀雄先生宅へ,翌年度に取り組む合奏曲の選曲についてご指導をいただくために訪問した時のことである。
児童の実態を示す一資料として,その年にてがけた合奏曲の録音を持参してみた。お聞きになられた小林先生の第一声は,「カミソリのように研ぎ澄まされた演奏ですね」ということだった。
“名演奏"とのおほめの言葉と思いきや,実は極めて厳しい評価だったのである。
つまり,音は確かなのだが,どうも演奏している子供たちの表情や気持ちが伝わってこないというのである。
振り返ってみると,私の指導は,リズムと音を正確に…ということにのみ神経をピリピリさせ,演奏の主体は子供たちであることや,子供たちなりの曲想表現などには,全く無頓着であったということを深く反省させられ,ひどく赤面したのであった。
合奏指導の本質は,子供たちひとりひとりの「心」を,音を通していかに演奏表現させるかにあったのである。
◆ 教育相談部の研修には演習の場面が多く,その一つに『信頼の目かくし歩き』というのがある。
これは,二人組の一人が目かくしをし, もう一方の人は無言で目かくしをした人を案内して,10分程度の時間,その辺りを歩いてくるものである。
いざ目かくしをすると,とたんに真っ暗闇になるため大変な不安に駆られる。その人を案内するのだから,足もとの安全には細心の注意を払わねばならない。
部屋を出て,廊下を通って,いくつかの段差を降りて,昇降口を出て,外を適当に案内して戻ってくる。
元の席に腰をおろして目をあけた瞬問,悲鳴にも似た声を発する人までいるほどで室内はしばしざわめくのであるが,このざわめきの意味するものは何であろうか。
「相手の誘導に従って恐る恐る歩いたが、案じたよりはうまくいった」「危険の無いように案内する責任を,無事果たすことができてホッとした」等々の気持ちが入り交じってのざわめきである。そして,人への思いやりや,人と人との信頼しあう「心」に対する感動体験に基づく反応なのである。
『心の教育』がさけばれて久しいが,こ れらのことから、いまさらながらに、児童 生徒自らの「心」の表現を十分保障してやることや,信じ合える「心」の結びつきを基調にして教育活動にあたることの大切さを痛感させられるものである。