福島県教育センター所報ふくしま No.96(H02/1990.8) -003/038page

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このような現状分析に基づき、子ども本来の生気あふれる造形活動を保障すべき表現領域をということで、その誕生を見るに至ったのである。

2. 造形遊ぴ誕生の背景一教育の主張 造形遊び誕生の背景にあるものとして次に挙げなければならないのは、子どもを主体とした学習の展開を求める教育の主張である。それらは単に図画工作科のみにとどまらない、これからの教育のあり方に対する積極的な教育論、学習指導論である。それらのすべてを挙げるわけにはいかないので、特にかかわりの深いと思われるものについて触れておきたい。

1.(丸囲み)その1つは、「個性の重視」にかかわる教育の主張である。まず目標論とも言うべきものであるが、教育の目標には、基礎的・基本的事項を身につけさせるという内容的側面と、子どもの個性と能力を育てる主体的側面との二つの側面がある。個性の伸長のためには、もっと大胆に主体的側面に重点を置いた教育に取り組むべきだという教育の主張がある。また,画一化、均一化された教育であったという反省に立って、個別化・個性化のための教育を求めなければならないという多くの主張がある。古くから言われている「学習は個に成立する」ことを、着実に具現することを求めている教育の主張である。

2.(丸囲み) その2つは、子どもの発達特性、最近の子どもたちの実態に対応すべき教育への主張である。無気力・無感動とまで言われるようになってしまった子どもたちに対して、あるいは未分化で未熟な発達段階にある子どもたちに対しての教育はどうあるべきか。1つには、自分自身の体、五感を駆使した具体的な体験を、取り分け体性感覚(触覚や運動感覚)を駆使した実体験をさせたいという教育の主張がある。2つには,分野、領域あるいは教科の枠にこだわらない、総合的な教育活動こそ重視したいという教育の主張もある。そして3つには、子どもにとって、生活そのものとも言える遊びの教育的意義を見直そうとする教育の主張がある。

まとめ
以上述べた、造形遊び誕生の背景からも推察できる通り、造形遊びは、文字通り子ども主体の造形活動の展開を意図するものであり、子ども本来の生気あふれる造形活動への取り組みをストレートに求めようとするものである。指導すべき内容が決して先走るのではなく、ここでは、自らの意志と意欲で造形活動に立ち向かう態度の形成、そして自己を表現することの充実感を感得させることをねらいたいのである。教える過程で育てようというのではなく、育てる過程で教えることが出てきたら教えようというのだから、この意味では、180度転換した教育のあり方が求められているとも言える。子どもを変えるために、まず教師自身が大きく変わらなければならないことが求められているのである。

<引用・参考文献〉

(1)南野 範夫「造形的な遊びの意義-I-」

大学美術教育学会誌 第17号

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