福島県教育センター所報ふくしま No.97(H02/1990.11) -017/038page

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本日は、昔を思い出したり、未来を考えたりしながら、これからの教育センターはどう在るべきなのか、ご提言あるいはご意見をお聞かせ願えれば幸甚に存ずるところでございます。よろしくお願い申し上げます。司会本日は3人の前・元次長さんにご出席いただいております。その時期その時期で思い出に残ること、努力されたことなどおありかと思います。センターに勤務したからこそ得ることが出来たと思われることなどおありになると思います。そんなことを菅野先生からお話いただきたいと思います。

菅野  私は、県教育センターに二度勤めさせて頂きました。最初は福島県教育研究所から県の教育センターになる昭和45・46年の期間です。そのころの思い出は、新しい「福島県教育センター」発足のために、研修室の青写真づくりに明け暮れたことです。当時の思い出の二つめは、新任所員だけの「東北ブロック新任所員研修会仙台人会」に参加させていただき、緊張しながら勉強したことです。

菅野先生
   <菅野先生>

三つめに、「福島県標準学力検査問題」の作成にあたり、予備調査のために県内各校を訪問したことです。それから、「地域指導者養成講座」を担当し、県内各地から集まってこられる先生方と教育研究の進め方に苦労したことです。その後、二度目のセンター勤務をするわけですが、教育センター勤務で得たものは、全国レベルでの研究会に参加し勉強したことです。

司会  次に、本田先生お願いいたします。

本田  私もセンターには二回勤務いたしました。一回目は、教育センター発足と同時に入りました。すぐ運転免許を取れといわれました。それは「理科の移動講座」に必要だからです。理科の講座は「理科教育センター」からの継続でしたので、新しく運転免許を取り、県内各地を移動しながら講座を続けたことが楽しい思い出として残っています。

 持参した自作教材を使って講義したり、夜は現地の指導主事の先生や校長先生も参加しての懇親会、情報交換会、本当に勉強になりましたね。

 それから、全教連関係や教科の研究会などに参加させていただき、随分勉強させてもらいました。

本田先生
   <本田先生>

二度目は、学校経営部として、理科を離れましたが、広い立場からものを見る目を養ったなと思います。忙しい毎日でしたが、有意義な5年間でした。


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