福島県教育センター所報ふくしま No.97(H02/1990.11) -027/038page
心残りの記
元次長(総務担当)
(昭57〜60)
佐藤 玉二「思い出」には馴染まないかも知れないが、私の在職期間中(昭和57年度〜59年度)に成し得なかったことを二、三記してみることにした。
私の在職当時は、登校拒否や校内暴力などがマスコミにも大きく取り上げられ、家庭教育も含めた教育の在り方が問われ、いわゆる教育相談が重視された時期であった。センターでは、教育相談部の人員増やカウンセラー講座の導入など研修の面では整備されたが、施設面はというと、暫定的な間仕切りのみで、教育相談に必要な設備の整った専門の部屋の整備ができなかったことが一つ。
もう一つは、宿泊に関わることであるが、受講者から、夏の暑さや冬の寒さで「夜、眠れなかった。掛け布団の用意をとか暖冷房を夜10時頃まで入れてもらいたい。」などの声が多く寄せられた。寝不足で研修に支障があってはと、種々対策を考えたが、名案が浮かばず、又、予算の獲得も出来ず結局、薄い上掛けを購入したに止まったことである。
この二点については、今でも心に残っており、教育センターときくと、すぐにこのことを思い出し、もう少し何とかならなかったのかと、自分でも情ない気持になってしまうのである。
教育センター創立20周年に思う
元科学技術教育部長
(昭45〜52)渡辺 専一私の教育センターとのかかわりは、現教育センター創立の1年前に始まる。当時は、現在の理科棟が、リンゴ畑と田園地帯の中に、教育研究所・理科教育センターを併設してそびえており、そこには本県教育の殿堂としての威容を感じさせていた。それもつかの間、次の年には現教育センターの創設となるわけであるが、従来以上に研修の拡大を行うとともに、近代設備を備えた正に全国レベルの機関が確立されたのである。
私はこの二つの機関に通算9年勤務させていただいたわけであるが、今思うと、この二つの機関の機能には、結果として大きな違いがあったように思う。すなわち、教育研究所・理科センターは、授業の在り方や学校経営に関して、地味ながら着実な取り組みをしていたところに特色があったように思われる。一方創立時代のセンターは、近代的で豊富な機器を活用し、いわゆる未来の教育の方向を示唆し、教員の教育改革への意識を喚起してきたように思える。
センターは、それぞれの時代の要請に応え、必要な役割を果してきたのである。しかし、近年の学校は、施設、設備も充実し、教育諸条件は拡充してきた。教育センター創立20周年にあたり、今こそセンタ一の果たすべき役割り、進むべき方向性について検討すべきだと思うのだがどうであろうか。