福島県教育センター所報ふくしま No.99(H03/1991.6) -003/038page

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則となると話はまた別です。とりわけ罰則を伴う規則は必要最小限度のものに限定される べきです。遵法精神を培うことの重要性は、どこの学校でも徳性の涵養をはかる全体計画 の中に明確に位置づけられているはずです。しかし指導と評価の方法の如何によっては規 則の運用をめぐっていろいろ問題も生じて来るものです。
一旦ひとつの校則をつくり、それをしっかり守ることが出来るように徹底しようとすれ ばするほど、懲罰主義に傾かざるを得ないのではないでしょうか。悪くすると、ついには 全体の秩序のためと言う大義名分のもとに、「見せしめ」的な処分に突き進む勢いを制止 することが出来ない状態にまで追い込まれるケースを、私はずいぶん見てきました。罰則 を公平にしかも的確に適用するためには、規則違反の事実を正確に認定しなければなりま せん。するとそのことを峻別するための細則を事こまかに設定しておかなければならなく なります。校則の本来の主旨を離れて、単に罰則を逃れるためにはどのように振舞えばよ いかと言う方向に、無意識のうちにすりかわってしまうことのほうが恐ろしいことなのか もしれません。基本的人権や、こと人命に関わるような重大な問題についてはともかくと して、生活指導はおよそ警察活動のようなものとは馴染まない、むしろそのようなものと は無縁な生活態度を助長することが本来の使命なのではないでしょうか。

とかくこれまでのわが国の教育は、ある一定の枠組みからはみ出すものを忌み嫌うと言 うか、排除すると言う傾向を否定しきれないものがあったように思います。少なくともそ のようなものを自分のクラスなり、わが校に出現させ存在させてはならないと考えるので しょうか。国家にしろ学校にしろ、とくに発展途上の段階では目標主義、画一主義の体制 の中で競争主義を煽ることの必要性も是認されるかも知れません。今日のわが国のように、 充分成熟もし、一層複雑さの度合いを深めつつある社会にあっては、個性をみがき、自分の 力で判断し、創造的に生き抜くことができるように、その基礎を培うことが不可欠です。 競争主義はある一定の限度を越えて激しさを増すと、そのことだけが主流となってしま って、従来からあった幾つもの他の目標を目指す行動に対する評価を相対的に低下させて しまうもののようです。進学のための受験競争は昔からあったのです。それでも偏差値と いう一つの物差しだけで人の能力を推し量るような事はありませんでした。進学競争を含 めて緩やかないろいろな競争が並存していたからなのです。

教育のプロとしての教師にとって、教育技術の研さんに心するのは当然です。 むしろいま最も求められているのは、注意深い洞察力に裏打ちされた目で個々の児童生徒 ひとりひとりを見る目を養うことではないでしょうか。それは私達教師自身にとって、人 間愛を基調とする自らの人格形成に関わる問題でもあるわけです。


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