福島県教育センター所報ふくしま No.100(H03/1991.8) -001/038page
巻頭言
所報100号の刊行にあたって
所長 宮 島 守 之
昭和46年4月1日、それまであった「福島県教育研究所」並びに「福島県理科教育センター」が発展的に拡充統合されて「福島県教育センター」が発足いたしまして20年の歴史を持つにいたりました。
教育センターの事業内容や研究の成果等を周知すべく「所報」が刊行されましたのが、センター発足の6月25日でありました。当初は年5回の発行から、途中で季刊となり、今回をもって第100回発刊のはこびとなりました。歴代の所長さんをはじめ所員の皆様方の教育によせられました情熱と事業遂行にかけられましたご苦労の跡がしのばれ、胸の熱くなるのを覚えます。
創刊時から第5回まで、センターの新築なった建物やら所内の施設・研修風景の写真が表紙を飾り、誌名も単に「所報」であったものが、翌年より、誌名に「ふくしま」の文字が加わり、表紙も県内各地の先生方の描かれた力作でいろどられるようになっております。
創刊号の裏表紙には当時の教育界の指針を示す「未来をひらく豊かな教育」という文字が見られますし、巻頭のあいさつの中に「社会の大きな変貌と科学技術の急速な進歩の波は、教育に質的な向上を要求していわゆる現代化の必要をもたらし、また、教師に対する専門職としての期待は自から教職員研修の充実の要請となり、・・・」という初代所長白岩和夫先生のお言葉がみられます。20年後においても、いささかも問題の今日性を指摘してあやまたないこれらの言葉に出会う時、しばし茫然たるをえません。
もちろん、当時と今ではその時代の背景や要請の質や性格やらに微妙な違いはあるはずでしょうし、絶えまない社会の進展の中では、社会の要請が果てることなく続くのもうなずけることですが、私一身をかえりみましても、20年前の課題を充分に解きえていないのではないかと思うとき冷い汗の流れるのを覚えます。
人のいのちと心にかかわりを持つ教育に拙速があってはならず、遅々たる中にも教育の革新は進んでいるというご指摘を否むつもりはありませんが、教育の「不易」の部分にこだわるあまり、その不易なるものを確かなものにする手だての工夫にいまひとつ欠けるものがあるのは看過できません。今ほど「流行」の中にひそむ課題に、一人ひとりが確たる理念のもと、意欲と自覚をもって果敢に取り組まねばならない時はありません。そしてその意欲も自覚も、ほかでもない次代を荷負う子どもへの熱い思いと愛情の中から湧き出てくるものであるにちがいありません。かならずや。