福島県教育センター所報ふくしま No.102(H04/1992.3) -001/038page
巻頭言
千 手 千 眼
教育相談部長 朽 木 耕 作
心に'脳みを持ち,行動や表情でそれを訴え,相談に来所するこどもが増えている。このようなこどもの心をさぐろうと相談を進めるが,なかなかこどもの心をとらえることができない。
私たち教師には,こども一人ひとりが将来に向かって生き生きと活動できるように,こどものよさを的確に見てとり,援助することが求められている。こどもをより良く,細やかに,深く見ていくように努めることが,教育の場で大きな課題である。教師の主観だけに頼らず,調査や検査等の活用により,多面的にこどもを理解する方法など,生徒理解に関する諸問題は解明され公にされているにもかかわらず,こども理解が不十分であると指摘されているのは,私たち教師の姿勢と資質が問われていることと自戒しなければならない。
室町時代の高名な仏師は,木地と対時していると,その中に仏像の姿が浮き出てきたという。そのイメージされた仏の姿を彫り出し,数々の名作を後世に残したといわれている。これこそ,こどもを理解しこどもの可能性を引き出す教師のあるべき姿を示唆するものと考えさせられる。
また,旧東独では,オリンピック選手の育成強化の方策として,こどもたちの身体,能力等に関した多様なデータを科学的に分析し,発達可能な姿を推測した上で,トレーニングの質や量を検討して育成強化に努め,数々のゴールドメダリストを輩出したといわれる。このように,可能性を引き出し,それを伸ばしていくためには,こどもをよく理解しなければならない。
しかし,こどもの心など簡単に見えるものではない。我々は,暗がりで見えないとき,手さぐりで見てとることをする。千手観音のすべての掌に眼が刻まれているという。こどもに掌(たなごころ)をあてて語りかければ信頼関係も深まり,見えないことも見えるようになる。目の上に手をあてて看とることが大切なのだと思う。五感で理解することが強調されるゆえんであろう。
こどもと教師が,からだごとぶっつかりあい,数多いふれあいの中で,千手千眼をもってこどもを見てとり,「この子に こんな力が あんなすばらしさが」の驚きの心を持つことが,将来に向かって生き生きと活動するこどもを育てる基盤であると考える。