福島県教育センター所報ふくしま No.102(H04/1992.3) -002/038page

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特別寄稿(論説)

パソコンの行方
―OHP型かアナライザー型かー

東京学芸大教育学部教授 河野義章

東京学芸大教育学部教授   河 野 義 章

◆ 情報化社会がやってきた
 新学習指導要領に準拠した授業が,本年4月から本格的にスタートします。今回の改訂では,特に対応すべく,小学校の段階から各教科でコンピュータの積極的利用がうたわれています。
 私どもの予想よりもはるかに速く,しかも学校の側の内的要求(デマンドプル)ではなく,情報化社会という外圧(テクノロジープッシュ)によって,パソコンが学校に入り込んできました。コンピュータ技術者が大幅に不足する,という産業界の悲鳴に文部省が押し切られたかたちです。
 現職教育の多くの時間が,情報教育のために当てられるようになりました。パソコンを前に悪戦苦闘するベテランの先生方の姿を目にしますと,ほほえましいと同時に,多少お気の毒な感じもいたします。
◆ CAIことはじめ
 私が初めてCAIのプログラムを作ったのは今から25年程前のことです。アメリカのプログラム学習の研究報告書のなかでCAIという言葉を知りましたが,当時は国立大学の教育学部にはコンピュータは入っていませんでした。もちろんパソコンなどない時代です。コンピュータを利用した教育など夢のような話でした。
 そんな折り,通産省の外郭団体の機械振興協会から,約300万円の予算で学校の先生にCAIのプログラミングを教える「教師用CAIプログラミング技法』の作成の依頼が私どもの研究グループにありました。
 当時,小学校に勤務していましたが,本物のCAIが体験できるとあって,夜の研究会に出かけるのは楽しみでもありました。
 「将来学校の先生がCAIのプログラムをつくるようになる」,との夢を語りながらの作業が続けられました。「今はコンピュータは高価だが,そのうち企業の払い下げが学校に入るようになる」,といった予測を仲間の一人はしていました。
 しかし正直言って,私自身はこの仕事をしながら,これはとても授業実践には役立っ代物ではない,と感じていました。なにしろ,漢字どころか,平仮名も使えない。色は着かないし,絵も描けないのですから。
◆ 授業研究の道具としてのCAI
 CAIのプログラムを作りながらもう一つ感じたのは,プログラムを作るノウハウが無いことです。コンピュータを知らないのが原因でなく,教材をコンピュータに組み込む際の『教育の知恵」の集積がそもそも不足しているのです。今日,私たちがワープロやパソコンのマニアルを読んで絶望感を味わうのも,根は同じ所にあります。自動車工場などで使われる工業用ロボッ


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