福島県教育センター所報ふくしま No.102(H04/1992.3) -017/038page
随想
入力・蓄積・出力
学習指導係長 野 中 定
となりに,間取り4部屋の社宅がある。 やまださんが越してきて,しばらく経つ。何度か見かけたことはあるが,コミュニケーションはほとんどない。
フジさんがお住まいのころは,毎朝のようにお見受けした。彼の立ち居振る舞いは,家庭や職場で話題になりもした。
磯野さんのご家族はにぎやかだった。たまにテレビで拝見する限り,みなさん歳もとらず健在のようだ。
某新聞の朝刊に掲載のマンガの話である。
起承転結のシャープさにうなずき,人間愛や社会評のモチーフには親近感を覚え,ハッとすることも多かった。また,オチが難解なものは,家庭や職場で究明し合い, 私自身の感性の乏しさ,視野の狭さを思い知ったこともある。
「となりのやまだ君」を読んでいるか,わが家の家族に聞いてみた。マンガ好きのむすめは,よく読んでいるらしい。息子と家内は,吹き出しの文字が多すぎるなど,私と同じような理由で,やはり読む気がしないという。読者の好みもあり一概にいえないが,朝の日課としては,絵柄や内容にシンプルさと爽快感がほしいと思う。
フジ三太郎やサザエさんにはそれがあった。私には生涯学習のよい教材で,自分の生き方・ものごとのとらえ方などに,少なからず影響している。それにしても,作者の入力の労と出力の苦は,察するに余りある。入カといえば,研究会の発表などを,うわの空で聴いていると睡魔が襲ったりする。また,後日のために録音しておいたものを再生してみると,想像以上に聴衆の雑音が入っていて耳ざわりなときがある。会場では気にもならなかった物音でも。
人間の五感は微妙だ。見ようとするものに焦点を合わせ,聴こうとするものに耳を傾けるなどして,はじめて見え,聴こえ,感じもする。人問は,大ざっぱでもある。自分に都合がよく,興味のある情報しか入力しようとしない怠惰さがある。一点に集中しなければ,五感や思考・判断などいい加減なものだ。また,このいい加減さがあるからこそ,生きていけるのだろう。
出力の場合はどうか,不都合なことにはあんどん昼行燈を装い,目立ちたいときには,出力過剰にもなる。人間のかわいい部分だ。
連休も多いというのに,することといえばテレビとゴロ寝。ストレスの発散は食欲と1本のビール(ラガー)。視野を広げるために行動を起こすには金がかかる。
ああ,蓄積していくのは中性脂肪ばかり。