福島県教育センター所報ふくしま No.103(H04/1992.6) -001/038page
巻頭言
個性について
所長 宮 島 守 之
本センターでは,「個を生かす教育の研究」を共通テーマに,教育のさまざまな場での個性教育の在り方を,四つの部がそれぞれにプロジェクト研究として先導的に取り組んできた。
それらの研究を通してさまざまな人々と話をする機会があり,聴いていて「あれっ」と思うことがしばしばあった。個性というものについてのとらえ方に不安を覚えたのである。
「個性」とは「個人に備わり,その個人を他と異ならせる性格」(広辞苑)ではあろうが,それはごく少数のもののみが持っ恵まれた才能やすぐれた特性のことを指すのではあるまい。スポーツ選手や音楽家などは,そのすぐれた能力や才能の点で確かに個性的存在と言えようが,大多数の者は他とくらべて極立った特性を有しているとは言い難いし,与えられた天賦の才を発揮するだけで生きられる人間はわずかなのである。個性を見い出そうとするあまり,人間の持っ資質や性格,能力をさまざまな要素に分解し,それを他との比較によって特徴づけようとするような見方がとられるとすれば,それは人間をこまぎれの もの にしてしまうだけで正しい理解のしかたとは言えまい。あちこち物差しをあててあれが長いこれが短いというようなものである。
一人の人間が生きているということは,先天的なものであれ,後天的なものであれ,さまざまな要素を丸がかえにして存在しているということであって,分解され特徴づけられるような個々の要素によって生きているのではない。個性というものも,他人と異なるいくつかの要素というよりは,その人間をその人間たらしめるべく有機的に働いている要素のダイナミズムというべきだろう。センターの研究では「個性」をその人間の持つ「よさ」として規定したが,この「よさ」というのも,ある価値観によって一面的にとらえられるよさというのではなく,その子どもの全人格的要素からみてその子をその子たらしめ,かつその子の生きる力の弾みとなりうる要素をいうものであり,その子の内に潜む可能性や秘められた生命力をひき出す手がかりをいうのである。
個性というものは,それを他人が認めたというだけでは存在するものではない。その人間自身がそれを自覚し,おのれの特性と認めてはじめて実在となるものだ。その意味で「個を生かす」とは要素なり手がかりなりを教師が発見し,そのダイナミズムを子ども自らに気づかせることなのである。