福島県教育センター所報ふくしま No.103(H04/1992.6) -017/038page
随想
ブナの葉の声
教育相談部長 根本文弘
ブナの林の中は,新緑が眩しく芳香物質フィトンチッドがかぐわしい。
つい,この間,楕円形に膨らんだ冬芽が,はち切れたと思うと,新芽が吹き出し,みるまに全身を緑に包んでいく。
ブナの幹に耳を当てる。先端へ向かって無数の導管を上昇する樹液のすさまじい声が聞こえてきそうだ。
突然,数年前に京都の弾寺・大徳寺の板の問で聞いた住職のだみ声が甦(よみがえ)った。
「ほんまに尊いのは,生(なま)の命や。生命というやつは,途方もなく素晴らしい。各パートが1つのコールサインでよう動いてくれるんや。」
足もとで落葉がカサコソと鳴る。茶褐色に敷きつめられた移しい枯葉の絨毯(じゅうたん)を踏みしめると,腐葉に含んだ水分が「じゅわ」という声を上げて染み出てくる。
足を上げると,今度は辺りの水分を残らず吸収していく。枯れてもなお厚みのある卵形の葉のしたたかな保水力に驚かされる。ふと,一葉を取り上げて,波状の鋸歯に触れる。
「人工林は,地ごしらえから下刈り,除伐,間伐と手入れされるが,おれたち自然林は新陳代謝を繰り返していくしかない。」と眩いているかのようだ。
老樹の梢を仰ぐ。無数の繊細な緑の掌は,風に泳ぎながら初夏の空をつかもうとしている。木漏れ日を通して,ふたたび住職の声が舞い降りてきた。
「そやから大事なことは,感動や。働きながら,え一っ,ほ一っ,すげえなあと発見して三嘆随喜することや。なぜ,こんな事やらにゃあかんのやと疑問詞やなくて感嘆詞で物や仕事見てみいってことやな。」
ヒトの何倍もの樹齢を数える樹木カ、毎年この季節になると・若々し順を身につけるのが不思議でならなかった。多くの生物が年とともにその細胞を衰えさせていく中でしたたるような緑の衣をつけて生気を取り戻したかに見える。
しかし・それは樹全体の一刻も休むことのない精髄が季節をとらえて,ほんの先端だけに現われたにすぎなかった。
「真木(まき)(檜・ブナなどの良材となる木)ふかき谷よりいづる山水(やまみず)の常あたらしき生命あらしめ」
(今井邦子 昭和6年「紫草」所収)