福島県教育センター所報ふくしま No.104(H04/1992.8) -017/038page

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 随 想 

心に残る 安達太良登山

科学技術教育部情報処理教育係長  鈴木 暉夫

 夏休みになると思い出すことがある。それは20数年前の夏休みの安達太良登山のことだ。見慣れた地元の山だからと軽い気持ちで高校生4人を連れて登山した時のことである。
 山の中腹にある黒金小屋で一休みした時,「誰が一番早く尾根につけるか,競争しよう」と生徒の1人が言い出した。内心気が進まなかったが,私もまだ若かったし,ここで生徒に弱気を見せてはいられないと,その挑戦を受けることにした。意地を張り合い,炎天下のもとで汗をふきながら必死で尾根をめざした。案の定,尾根まであとわずかのところで,左足がけいれんし,歩けなくなってしまった。後から登ってきた者は追いつき,先に行っていた者は戻ってきて「先生,大丈夫ですか」と心配し,「おんぶしましょうか」と元気づけてくれた。その場でしばらく休んでいると回復し,ようやく頂上まで登ることができた。
 山頂で360度の眺望を楽しみながら昼食を取っている頃から雲行きが怪しくなってきた。生徒たちは,バテている私を気遣って,すぐに歩き出そうとは言い出せないでいた。冷気にのってガスがどんどんと立ちこめてきて,瞬く間にあたりの景色が見えなくなった。奥岳方面に下山しようとしていたのだが,どれが登山道か見分けられなくなった。登山経験の少ない者どうしが視界を閉ざされた時は,遭難するのではないかと不安に襲われた。とにかく急いで下りようと,勘を頼りに道を選択して下山し始めた。
 追われるようにしばらく下りるとどうも様子がおかしいことに気付いた。ブッシュがだんだん深くなっている。誰かが,「道を間違えた,先生どうする」と不安そうに訴える。先程けいれんした足が気になったが,そんなこと言ってはいれない。戻ろうと決断する。それからが大変であった。倍の時間をかけ,引き返した。再び尾根にたどり着く頃には,運よく濃いガスが晴れてきた。これで助かったと思い,全員の無事を確かめあった。そして,疲れていても未熟な私の指導についてきた生徒たちに感謝した。
 安達太良山は気軽に登れるハイキング的な山であるが,この時ほど,山での天気急変の恐ろしさを知らされたことはない。三流の未熟な登山者であったが,山頂での美しい眺め,生徒たちの温かい思いやりと苦い体験とが心に残って,この時のことが今でも忘れられない。


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