福島県教育センター所報ふくしま No.107(H05/1993.6) -002/038page

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時田 光人

特別寄稿 (論説)

青 少 年 の 動 向 と 学 校 教 育

−ロール・プレイングの実践に期待して−

教育心理劇研究センター所長  時田 光人


   

1.青少年の動向

 青少年の問題行動の内容に,不気味ともいえる傾向がみられるようになったのは,昭和50年頃からであるといわれています。それは,シンナー遊び・怠学・単章暴走・高校中退等にみられる脱社会・無社会的な傾向を指しています。杜会に対する無賜己・や社会参加に対する拒否的傾向が,高校生の怠学や中退,無職少年やフリッターの増加を促すという指摘は見逃すことはできません。一方,校内暴力やいじめ,非行にみられる反杜会的行動につきましても,非社会的行動と共に,青少年の享楽的・刹那的・衝動的な生き方について関心を抱かざるをえないと考えます。
 このような青少年の問題に対して,成人社会が一方的な非難や叱責を加えるだけでは,問題何も解決しないと思います。例えば非行少年の処遇として,内申書の言職や成績評価を下げるというような懲罰を加えることは,問題行動の指導として適切とはいえませんし,懲罰する者(教師)と懲罰を受ける者(生徒)の間では,本当の意昧で指導することは不可能と思われます。かつて学校は非行に対して,これを抑制する力をもっていたといわれますように,有職少年の非行の発生率の方カ渇かったわけですが、昭和50年代の後半から,中学校在学生徒の非行発生率が急増している実状は,「犯罪白書」等で明らかにされています。今やいじめや校内暴力を含めて,学校が非行の発生場所として,無視することのできない状況になったといわれています。
 特に,青年前期の中学生は,「第2の誕生」といわれますように,思春期を迎えた中学生時代は,人生で最も「わけのわからない」時期であり,とまどいの時代ともいわれています。中学生の特徴として,内面的世界の確立,自我の再構成,他者への関係づけ等が一般にあげられますが,最近の中学生の傾向として,生活能力や生活技能の低下,対人関係能力の乏しさや,職業に対する無関心さがあげられています。「将来どんな職業につきたいか考えたこともない」という中学生の発言は,自分の将来を考える余裕がない日常生活を表わしているようにも思われます。また,家事手伝い体験が乏しいために,生活技能が身についていない,対人関係の範囲が狭いために,対人関係能力の低下がみられる等といわれています。
 人間には,それぞれの発達段階で習得しなければならない課題があり,そうした課題を達成しなければ健康な成長が期待できないといわれています。「生活することは学ぶことであり,成長することも学ぶことである」と述べたハヴィガーストは「人間の発達を理解するためには,われわれは学習を理解しなければならない。人間はめいめい一生涯学習をつづけるのである」(人間の発達と教育.1953)と説いています。青年期の発達課題は,一般に(1)身体的変化への適応(2)家族の監督からの離脱,(3)友人(異性)関係への適応,(4)人生観杜会観の形成,(5)杜会人としての知識や技能の習得等の5項目に集約されていますが,青少年の問題行動は,乳幼児期・少年期・青年期における発達課題達成の失敗によるものと考えられます。また課題達成に困難を感じている生徒への援助活動こそ,生徒指導の課題と考えられます。
 生徒指導とは「一人ひとりの生徒の個性の伸長を図りながら,同時に杜会的な能力,態度を育成し,さらに将来において社会的に自己実現ができるような資質・態度を形成していくための指導・援助であり,個々の生徒の自己指導力の育成を目指すものである」(生徒指導資料・21集)とありますように,生徒指導のねらいは,<自己指導能


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