福島県教育センター所報ふくしま No.109(H05/1993.11) -004/038page
れ「昼の部」の講義に聞き入る先生方の姿勢にあった。たとえそれが直接日々の実践に応えるものではなくとも,よく整理されたものであれば,耳を傾けていただくことができ,一時なりともそこに憩い,リフレッシュしていただくお手伝いは出来る。そしてそれが間接的であれ,実は「夜の部」での討論の準備になることにも気づかされた。
以下は今年の「夜の部」でのほんの一コマである。話題は17年前に創設された仙台の隣りの市にある普通科のみを置く高等学校の進路指導主事I先生から出されていた。入学時には全員大学進学を希望する生徒達が,学年が進むにつれ大学進学を諦め,志望の水準を努力することもなく落としてゆき,短大,専門学校で満足するようになり,先生方もやる気をなくす。その傾向は,仙台の私立学校が「六年制中等学校」を設けてから一層顕著になり,それがI先生の悩みの種になっていた。ある郡部の中学校の生活指導主事は,私立学校のスカウト合戦が郡部にまで及び,彼の地域では隣接の中高が連携し,父母をも巻き込み,公立学校でも中高一貫的教育を求める動きもあるという。しかし郡部とは異なり都市部では高校のランキングは,中学校の輪切り的進路指導が徹底しているため固定化しており,生徒や先生方のあきらめムードを変えることは容易ではないらしい。小学校の先生からは,進学のことばかり考えるから悩みは底なしになるので,もっと彼等の生活に根ざした彼等の興味関心をそそる教育計画を立てるべきであり,学力観そのものを改める必要がある,といった発言が相次いだ。その発言にI先生は耳を傾けながらも,親の気持ちを考えるとそれもむづかしいという。人口動態とのかかわりで教育社会学の講義で耳にした「教育は今後斜陽産業になる」という言葉の意味が様々な角度から吟味され,話も次第にペシミスティックになってゆく。その後「能力に応じて」の原則の下で,なぜ国はたまたま能力に恵まれた者にまずより多くの税金を注ぎ込み,次いで障害者の教育が注目されながら,最も数の多い相対評価で3レベルの子ども達には目が向けられてこなかったのか。人口動態の急変とのかかわりで,それは今後どうなってゆくのか。I先生の学校の生徒達は,短大,専門学校を卒業した後どんなところに就職し,どんな生活を送ることになるのか。定職につくのか,アルバイターになるのか,といった質問も出て,それに対してI先生は具体的な数字を挙げて答えていた。それは決して楽観を許さぬものであった。しかし高齢社会になることが確実な中で,減る一方の子ども達のことを考えると,彼等の中から脱落者を出すゆとりはもはやない。一人ひとりをよくみて甘やかすことなく大事に育ててゆく必要はより大きくなる。その意味で,新学習指導要領のもとで,シンドイ思いをしなければならなくなった生徒指導要録,調査書の記入等ももとその気になって取り組むべきである。入試のあり方も変わることだろうし。それにしてもあれは大変だ。でも斜陽産業化のピンチをチャンスにするための契機にもなる筈で,そのためにももっとホンネで話せるこうした情報交換の場がほしい。話はそこに行きついた。