福島県教育センター所報ふくしま No.109(H05/1993.11) -008/038page
4 考察
事後のアンケート調査などから,今回のディベート授業について,分析と考察をしたい。
まず,ディベート授業そのものについては,80%を越える生徒が肯定的な評価を下し,その理由として「おもしろい」「社会に出て必要」「知識が豊かになる」などを挙げた。
今後もディベート学習をやりたいかどうかについては,「もっとやりたい」という生徒が24.2%、「やっていい」が52.4%「あまりやりたくない」14.1%,「やりたくない」9.3%という結果だった。肯定的な回答が,76.6%に達している。
ただ,裁判形式については「討議の時間が足りない」「慣れてなくてやりにくい」などの意見も見られた。
これらのことを併せて考察すると,ディベート学習は,その論理操作のゲーム性は生徒に十分理解されたとは言い難いが,生徒の興味関心や意欲を喚起している。
次に,「証人喚問」における教師の参加であるが,「良かった」75.2%,「良くなかった」4.7%,「分からない」20.1%という結果だった。「良かった」とする理由は,「自分たちが調べても分からないことが分かりやすく説明されたから」というものが大半を占めた。「良くなかった」とする理由も「一人で,立場を変えて証言するのは良くない」といった主として方法に対する疑問や抵抗感であった。議論の深まりに教師が参与するという当初の目的は達成されているものと言えよう。
また、陪審グループとして参加しての意識は,下表の通りである。
1.陪審としての参加感(数値は%)
あった 41.5,なかった 25.2,わからない 33.3
2.グループ内での発言
言えた 54.9,言えなかった 21.4,わからない 23.7
3.裁判の進行の中で,ディベーターとして発言したい時があったか
あった 56.9,なかった 33.6,わからない 9.5今回の調査では,ディベート授業が初めての生徒たちであるため,「審査員」としてディベートに参加した場合との比較はしていない。しかし,基本的なルールから見て,「陪審員」という位置付けがより参加いしきの高いものであることは推察できる。陪審に関する三つの問いへの答えで,肯定的な答えが50%前後にあることは,十分その証左であると考えるがいかがであろうか。
さて,最後に,ディベートの本質に関わる問題−賛成,反対は,本来自分の立場と同じ方がいいか−について触れたい。
意識調査の結果は,「同じ方が良い」67.5%,「違う方が良い」6.9%、「どちらでも良い」25.6%というものだった。このことは,課題への意欲や論理的操作能力,発言能力などの生徒の発達段階や実態を踏まえて,柔軟に対応すべきことを示しているように思われる。はじめは,「同じ」立場で実施し,次第に「違う」立場で論理操作を競わせていくような配慮と訓練が,必要と言えよう。