福島県教育センター所報ふくしま No.109(H05/1993.11) -017/038page
随想
井 中 星 を 視 る が ご と く
経営研究係長 佐 藤 和 夫
冷たい夏も過ぎた。新聞には「百年に一度の大凶作」との見出し。それを見るとあの湖岸の小さな村のことが思い出される。
あの時も凶作だった。湖面を渡って吹く東風(やませ)に,海抜五百メートルを超すこの高冷地はひとたまりもなかった。米ははとんど穫れなかった。
ある日,学校にTさんが訪ねてきた。黙って一通の書類を差し出す。よく見ると土地の売買契約書。「決めたの。」と聞くと「いやまだだ。でも,冷害で米穫れねえから。それに息子も跡継がねえといっているし,どうしようもねえ。「土地売って,どうして生きていくの。売っちゃ駄目だ。」「そう言うけどもない,こんな高冷地で百姓続けてどうなる。もう暮らしていけねえ。土方でもした方が,金になる。」
言葉の端々に,冷害だから「百姓やめるのではない,こんな高冷地での米作りでは自然の猛威に勝てないんだという悔しさが滲みでている。そんなTさんの姿に,私はしだいに寡然にならざるをえなかった。
Tさんは,村では篤農家で知られた研究熱心な人である。自分の水田だけでなく,他の農家から委託された合わせて十ヘクタールの水田で米作りをしていた。だが,冷夏は,こうした米作り一筋に頑張ってきた農民を直撃した。水田中心の規摸拡人が,完全に裏目に出たのである。農業片手間の農家はかすり傷程度で済んだのに,Tさんのような専業農家の負った傷は深かった。皮肉なものである。
「農地はあんた達の命の綱だろう。」と繰り返す私に,Tさんは溜め息混じりに呟いた。「でもな,米代金が人らないと借金が残る。一千万円位かな。」後は何も言えなかった。一年間の努力の結果が多額の借金である。自然の災いとはいえ,何とも惨いとしかいいようがなかった。
折からバブル経済の真っ直中。湖に面したこの寒村でも,リゾート開発騒動の渦中にあった。冷害で借金返済に窮した農家は,彼等リゾート業者の格好の餌食になってしまったのである。鞄に多額の札束を詰め込んだ彼等は,農家を集中攻撃したのである。Tさんが持ってきた契約書は,その一通であった。
「考えてみる。」帰りぎわ,Tさんは呟いた。
私が村を去る日,送別会の席でTさんは言った。「売るのはやめた。でも,それがよかったのかどうか………分からない。頑張ってみるが。」と笑った。
今年は大冷害。あの寒村では,収穫は皆無だったという。Tさんはどうしているのだろうか。まだ借金が残っているだろうに。バブルはじけてリソート開発の嵐も過去のもの。土地の買手さえない。彼の心中を思うと,胸が痛む。あの時,私が言わなけれぱ,別の世界があったのかも………。