福島県教育センター所報ふくしま No.110(H06/1994.3) -001/038page
(巻頭言)
く も っ た 窓 ガ ラ ス の 向 こ う に
教 育 相 談 部 荒 晶 子
暖かな部屋で,アルバムの整理をしていた私は,何げなく南側の窓に目を向けました。庭に面しているその窓は,我が家の中で特に気に入っている所なのです。
窓ごしに,何とはなしに見ているそのひと時,時が止まったような静けさの中で,私はいつも,ゆったりと身をまかせます。
外は大分冷えてきたらしく,窓はくもっていました。ふと,幾つものすじができているのに気づきました。もうこれ以上たえられないとでも言うように,ガラスの表面に水滴がふくれあがり,滴となって下へ下へとすべり落ちていくのです。
どこから落ちるのだろうと,目を凝らし心をときめかせながら追いつづけました。幾つものすじの間から,外の景色が見えはじめました。見なれた景色なのに,いつもより趣があり,絵画の一場面を見ているようでした。すけた格子戸を通して見ているような景色なので,「あれは何だっけ」,「あんな所に松の木があったかなあ」と,よく見てみようと思う気持ちもつのります。ヤクルトのおばさんが若々しく見えます。散りかかったサザンカの花も生き生きとよみがえってきます。
「原因がわからないと,手の打ちようがない」とか,「はっきりさせないと次に進めない」などと言って追求し,かえって物事が見えなくなり,事態が悪くなっていくことがあります。そんな時には,少し離れベールを通して見るような気持ちでいると案外よく見えてくるようです。気負いが先に立つと,イライラしてまわりが見えなくなってきます。
くもったガラスの向こうを目を疑らして見ようとするのは,大変つらく,根気のいることです。じっと耐えながら,必ず見えてくると信じて待つことはエネルギーのいることですが,また楽しいことでもあるのです。このごろ,そんな気持ちになってきている自分に気づき,ちょっとおどろいたり,うれしくなったりしています。
すけたガラスごしには何でもよく見えるから,かえって見ようとしません。また,見てはいけないものも,見られたくないものも見えてしまう冷たさがあるように思います。くもったガラスは見えにくいからこそ心を近づけようとする気持ちにさせるのです。そして,ガラスの向こうには,何かいいことがあるような,そんな気持ちにさせてくれるように思います。
いつの間にか,窓ガラスのくもりがとれいつもの景色にもどっていました。そう言えば,さきほどまで膝の上で丸くなっていた子ねこのミミがいません。暖かくなった外へ,飛び出していったのでしょうか。