福島県教育センター所報ふくしま No.111(H06/1994.6) -004/038page

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ならないのである。

事実,それを懸念する声はかなり高まっている。例えば,「新しい学力観」の名付け親と自称する菱村幸彦氏(前文部省初中局長)でさえ,つい先ごろ,「かつての問題解決学習重視の学力観から,系統的知識重視の学力観に転換した前者の轍をふむことがあってはなるまい。」(日本教育新聞,平成6年3月26日)と,強く戒めている。つまり,「関心・意欲・態度」「学習過程」「授助・支援」などを重視するあまり,体系的知識を軽視したり,指導とは何かを見失ったりして,学力低下の問題を再燃させてはならない,ということである。もちろん,ここで言う学力は今日支配的な知識詰め込み型の受験学力ではない。

ここに「新しい学力観」の積極的な意義と,それを実現するための新たな課題を改めて明確にする必要性があると言えよう。この課題を曖昧にしたままでは「新しい学力観」は決して定着しえないし,また定着させてもならないのである。

3.発展的な学カ形成のメカニズム

この問題については,ここで詳しく述べる余裕はないので(拙稿「授業成立のメカニズムと『新しい学力観』の課題」福島大学教育実践研究紀要第24号(1993)参照),要点の一部を述べるにとどまることを予めお許しいただきたい。

その一つは,「知識・理解」と「関心・意欲・態度」のどちらを重視するかという二者択一の問題としてとらえるのではなく,両者の相互関係を明確にして,それに基づいて授業改善の具体的な課題を明確にする必要がある,ということである。同様のことは,授業の過程と結果についても,指導と援助・支援についても言えることである。

そこで次に確認したいことは,何らかの「知識・理解」なしには「関心・意欲・態度」は生まれえない,ということである。また,授業の過程のみを童視して,それがどのような結果をもたらすのかを軽視するようでは学力低下は必定であろう。

次に,両者の関係であるが,学習内容である「知識・理解」について学習者自身がどのように「意味づけ」をし,どのように「イメージづくり」をし,どのようなことがらとどの程度「関運づけ」をするかによって,「関心・意欲・態度」の内容や程度が大きく左右される。望ましい学習結果を得るためにこそ,その過程が重要になるのである。

授業が始まる前から「意欲」的な児童生徒も,あの先生の授業はいつも面白いとか,まじめにやれば良い成績がとれるとか,何らかの「知識・理解」が前提にあるのである。もちろん,発展的な学力の形成にとって欠かせないのは学習内容そのものに対する「関心・意欲・態度」である。したがって,その背景にある「知識・理解」の質や内容に留意することが指導の上では常に欠かせない条件となる。

暗記科目の典型のように見られている歴史学習の場合で言えば,その歴史的事実・事象について正確かつ客観的な「知識・理


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