福島県教育センター所報ふくしま No.112(H06/1994.10) -005/038page

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えられたあと,これらの学習の過程を巧みに乗り切りよい成績をあげることができた子ども達がいました。しかしそれは,自分なりのやり方で学習のスキルを身につけた少数の子どもです。他の大勢の子どもは,机に向かってどうしたらよいのか分からず,親に叱られるので,しかたなく計算と漢字の練習をしてお茶をにごします。教師からの宿題をこなしても,それが自己の学習とどのような係わりがあるのか分からず,教師の方でも一律に宿題を出すことで安心しきっていました。これでは,いくら勉強の時間を増やしても,学力の保証はありません。

細やかな授業の手始めに,子ども達がどんな参考書や問題集をもっているのかを点検してみましょう。成績の悪い子ほど,机の上に山なりです。余分なものは捨てて,残ったものと教科書を,学習の過程にどう位置づけて活用するかを相談して下さい。

3 しなやかな授業

情報化,国際化とよばれる今日の社会では,知識の遺産の積み上げが急速なだけでなく,質的な変化も激しくなっています。一昔まえなら,大学で学んだ知識があれば,定年までそれで食っていけました。ところが今日では,大学に入って教わったことでさえ,卒業するときにはもう古くて役立たなくなってしまうのです。コンピュータやワーブロの進歩のことを例にすればお分かりになるでしょう。従って,将来役に立つことを念頭に基礎学力を蓄えるということは,実はあまり意味のないことになってしまいました。

こうした状況では,基礎的知識を蓄える勉強から,知識を吐き出す勉強へと,学ぷことの意義さえ変質が求められます。生涯学習時代でカルチャースクールや大学の社会人コースへ多くの人たちが群がりますが,知識を得たといって喜んでいるだけでは,真の学びとはなりません。文化遺産を受け継ぐことはできても,文化遺産の創り手とはなりえないからです。

教養人ということばがありますが,本来の教養人は先人の知識の遺産をたくさん詰め込んだ人ではなくて,自分の思索の結果を外部に発信して,他者に影響を与えることができる人という意昧に解釈するのが妥当ではないでしょうか。最近,話題になっている東大の「知の技法』なるものも本来の教養人の復権をめざした,教養学部の改革だといわれています。ちなみに,福島大学教育学部では,これと同じ主旨で一般教育ゼミを10数年も前から設けています。

『新学力観』が求める学力とは,このよ


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