福島県教育センター所報ふくしま No.112(H06/1994.10) -007/038page

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たから考えられるのではなく,自分が考えるためにはどんな知識をどれだけ集めればよいかを判断することが大切です。小学校の1年生は1年生のやり方で,自分で問題を感じ,自分で考え,自分のやり方で発信できるものです。しかもこうした活動は子ども一人一人のユニークさが前提となるので,それぞれの子どもの学習活動に対応できるしなやかさが求められます。

4 まとめ

福島県の子ども達の学力の問題点として,2つのことが指摘されています。一点は中位以下の生徒が大学進学をあきらめてしまうこと,もう一点は上位の生徒の伸ぴがよくないことです。

第一点については,教育心理学の教科書に出てくる学習性無力感による説明があてはまるのではないでしようか。セリグマンらの実験では,入り口を閉じた檻のなかで電気ショックを与えられ続けた犬は,入り口を開けて逃避できる状態になっても,うずくまって震えているだけでした。犬は自分の力では伏況をどうにも変えられないということを学んでしまったのです。

県内のいわゆる進学校と呼ばれる高校に入れなかった生徒たちは,小さいときから「成績が悪い」という親や教師の言葉の電気ショックをいやというほど浴ぴせられたことでしょう。そのため,大学受験に向かって自己を奮い立たせることなく,そこから逃避してしまいがちです。現行の入試制度に難癖をつけることは容易ですが,それよりも彼らに自分と勉強との係わりについての自己洞察の機会を与えるプログラムが,授業の内外で必要でしょう。

第二の問題点は,第一の問題点の裏返しです。進学校に入学した高学力の生徒たちは,もちろんさらに難関な大学をめざすのですが,ともすると目標とする高校に入ったことだけで,安堵してしまう傾向があるのではないでしょうか。磐女から山形大に進んだ学生が,講義のあいまにこのことを私に話してくれました。また,会女から福大にきた学生は,「私たちはエリートなんです」が口癖でした。15の春を勝ち抜いた子どもたちは,地域の人たちが自分たちをどのように見て,どのように扱うかを知っています。しかし,それに甘えて,小さな殻に満足することなく,大きく飛翔する志を育てるためのプログラムを彼らのために準備したいものです。

参考文献
ガニェ.R.M.北尾倫彦(訳)1982
教授のための学習心理学 サイエンス社


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