福島県教育センター所報ふくしま No.112(H06/1994.10) -018/038page
随 想
『 旅 先 で の 朝 ,走 っ た こ と 』
学 習 指 導 係 長 辺 見 広 一
私が長距離走を始めたのは,大学を卒業し社会人になったその年の夏からだから,もうニ十数年になる。
ここ五,六年は仕事の関係で毎日は走れないが,学校にいた時分は日に10〜15km位走っていた。
八年位前までは,勤務していた高校の校内10kmマラソン大会に男子生徒に混じって出場しても,いつも三位以内でゴールしていた。
このようなわけで,私の日常生活の中において走ることへの思い出はたくさんある。
以前には旅行する時,ボストンバックの片隅に必ずジョギングシューズとトレーニングウエアをしのばせておいた。
勿論,新婚旅行の時もそうだった。朝早く起きて走りに出ていった私の姿に,彼女は驚いた様子だった。
しかし,この時はどうしても旅先でかなり走ってコンディションを整えておかなければならない理由があった。旅行から帰った翌日が校内マラソン大会であった。クラスの生徒へは「前年度の順位より下がることはない」と見えを切っていたのであった。結果は前年を上回り,面目を施した。
もう十年位前になるだろうか。学年の分散旅行で韓国に行った。アジアンゲーム,そしてオリンピックを控え国中が沸き,活気に溢れていた。
釜山,慶州,抹余,ソウルに泊った。
釜山では,朝早く竜頭山公園付近の雑居街を走っていて韓国の人に声をかけられたが,怪しまれることはなかった。慶州では,深い山並みの続く大陸的な風景の中を走ったような記憶がある。扶余では,白馬江の流れのほとりに広がる田園地帯を走りながら百済王朝時代に思いをめぐらし,飛鳥文化のルーツを探ってみたい気持ちにかられた。
旅先での朝早く,空気の澄んだ美しい自然との出会い,そして走ったあとの壮快な気持ちは,日頃のストレスを全て払拭してくれるものだ。
大分前になるが,大和路を旅したことがあった。
鹿の群れ遊ぶ朝の春日野から飛火野にかけての一帯。かつてはこのあたりは杉の生い茂る原生林であったはずだ。ここにはまだ人間の生活が自然の中に残っていた。走っていくほどに自然が語りかけてくるような気がした。現代が遠くかなたに走り去っていくような錯覚にかられた。静かな朝もやに浮かび上がる鹿の群れとともに,時間が逆行していくようであった。時間を越える道はまた思考の道でもあった。さまざまな思いを巡らしながら黙々と走り続けた。
大和の旅情は時間と空間を越えて心に深く刻まれ,旅先での朝の素晴らしい自然との出会いを心にしまいながら,またここに来て走ろうと心に誓った。