福島県教育センター所報ふくしま No.113(H07/1995.2) -001/038page

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(巻頭言)

教育センター学校経営部長  佐藤和夫

自 ら が 変 わ る と き




教育センター学校経営部長 佐 藤 和 夫



1冊の写真集がある。

そこにクローズアップされた教師たちの顔。その表情は,いずれも困惑と苦悩に満ちている。一教師たちは,話が理解できない状況であった。分からないことをずーっと聞いている教師たちの表情は,暗く重苦しいーと解説は語る。

教師たち……それはいずれも授業のプロを自認しているべテランたちである。それが,専門であるはずの授業の話が理解できず,悩み抜いているのである。

なぜ困惑し,悩むのか。

T教授の提案授業をみた教師は語る。−聞いていてさっぱり分からなかった。今まで自分が考えていた「授業」というイメージからかなりズレを感じたので,拒否する心が私の中に強くあった−今まで培ってきた「教材観」「授業観」「子ども観」というものを,根底からひっくり返されたからである。経験や指導技術に頼っていた自らの授業観では「どうにも理解できない」ことに気づかされたからである。では,どうすればいいのか。

経験が役立たない。どうしたらよいか……教師たちの困惑は深まるばかり………。そんな中で行われた授業研究は,子どもが氷のように沈黙し,うずくまったまま教師の問いにも反応しない。次のてだてが分からず,呆然と立ちつくす教師………たった1枚の写真が,冷酷なまでに立ち往生した教師の心をえぐり出している。

授業を創る仕事が,いかに厳しいものであるか如実に示した1枚の写真。−どうして子どもたちが動いてくれなかったのか,なぜ……。授業で,こんな惨めな思いをしたのは初めてだった−と授業者は語っている。写真に写る,上目づかいに教師の様子を伺う子ども……その表情は固く不安げだ。

教師は,自ら非力さに気づいた。

授業創りは,奥が深い。教科書をなぞっただけの教材研究,他人を模倣した方法論だけの授業では,子どもの「問い」をよび起こし,深い追求に追いついていけない。これに気づいた。−このことを契機に,自分たちの授業を変えようとする雰囲気が少しずつ出てきた。そして,教師の苦悩に満ちていた表情も,少しずつ明るくなっていった−と解説は語る。

教師は変わった。

子どもの問いに応える深い教材解釈……「深い教材研究」が最も重要であることに気づいたとき,教師は変わったのである。屈み込むようにして子どもに問いかける教師,体全体で自分の考えを表現しようとする姿………。子どもたちは,しだいに深く集中するようになった。1枚1枚に写る子どもの豊かな表情が,如実にそのことを物語っている。

教師は,自らが変わることにより授業を変え,子どもの追求を呼び起こしたのである。たった1冊の写真集だが,その訴える力は大きい。


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