福島県教育センター所報ふくしま No.114(H07/1995.3) -020/038page
随想
ひ と り が 生 ま れ る た め に
相談研究係長 原 田 伊佐雄
私の部屋に一枚の色紙が,額に入って飾ってあります。
ひとりが生まれるために
どれだけの人が
かかわったかを考えろ尊敬する書家の先生からいただいたものですが,ある夫婦の生き方と重なって,私には大切なものになっています。
「子どもが生まれました。男の子です。」という明るい声の連絡があってから4日目の夜,病院にいる付き添いの人から「なんだか生まれた子どもがおかしい」という電話があり,病院に着いたときは午後10時過ぎ,治療室は真っ暗でした。帝王切開で出産したために動けない母親は,異変に感づき動転していました。
知らせを受けた夫は,夜の雪道を4時間も車をとばし到着したのが午前0時過ぎでした。すぐに状況を察した夫は,だめだという看護婦を振り切って,真っ暗な部屋に−人でいる我が子を抱いて来て,ベッドの妻に抱かせてやりました。どこか父親に似ている穏やかな顔の子でした。名前も決めて明日は届け出を出すことになっていたそうです。
この夫婦は,これまでにも何度か流産を繰り返し,こんどこそは元気な子を生みたいということで,半年も病院に入院していたそうです。そして,ようやくの出産だったのです。
夫は,冷たくなった我が子を抱き寝している妻の手を握りしめながら,「おれたちは,こういうことは何度も何度も乗り越えて来たんだ。お前が生きていてくれればいいんだ。」と,自分にも言い聞かせるように励ましていました。
私は,部屋の隅で呆然と立っているだけでした。ただ泣けてしかたなかったことを覚えています。
その晩はベッドを寄せ,子どもを真ん中にして親子3人で寝たということです。なんともつらく厳しい話です。
今度こそは元気な子どもを生みたいということでがんばった夫婦,それを支えた家族,何度も見舞いや励まし来てくれた友人や職場の人たち,また,病院の人たちの努力など,一人の人間が生まれるためにどれだけの人がかかわり,そこには祈りにも似た願いがあったことだろうと思います。
「ひとりが生まれるために,どれだけの人がかかわったかを考えろ」ということを一層大事にしていかなければと,このごろ強く考えさせられます。