福島県教育センター所報ふくしま No.115(H07/1995.7) -006/042page
授業の改善・充実を目指して
−授業者の心(マインド)について考える−
学 校 経 営 部
1 はじめに
今,各小・中・高等学校は,「新しい学力観に立った学習指導」を念頭においた授業の改善に努めている。本県では,これに併せて「基礎学力の向上」への取り組みは,極めて重要な教育課題として受け止められ,各学校ともにこれら2つの観点からの「授業の改善・充実」を目指して努力している。
しかし,一方では「授業が少しも変わらない」ということもいわれている。例えば,小学校においては,新しく誕生した生活科が教科書中心に進められていることが多いとか,各教科の授業も児童の興味・関心を大切にした体験的活動を取り入れてはいるが,そこでどんな能力を育て,どんな技能や知識が身についているかどうも定かでないということをよく耳にする。中学校についても,結局は教師中心の授業で,生徒が本当に学習する楽しさや喜びを味わっているのだろうかとか,入試に強くなるためには,基礎的・基本的事項が大事だからということで,教師が教えたことをきちんと覚えさせることだけを重視した授業が相変わらず多く,思考力などの能力の育成にまで至ってないという声も聞かれる。また,高等学校では,学習意欲のある生徒とない生徒との差がますますはっきり出てきているので,結局,教師中心の授業になってしまうとか,小・中学校における基礎的・基本的事項さえも十分身についていない生徒もいて,その生徒の指導に苦慮しているのが実情であるという話もある。
このような議論が各方面でなされている中で,各小・中・高等学校では多くの教師が,「新しい学力観に立った学習指導」と「基礎学力の向上」という2つの大きな課題のはざ間で,授業の改善・充実を目指して努力している教師が多いことは確かである。
戦後数回にわたる学習指導要領の改訂の度に,「授業が変わらない」といわれる中で,児童・生徒の学習への思いや願いをしっかり受け止めて,確実に自分の授業を改善し,すばらしい実践を重ねている教師も身近に数多い。
学校経営部では,教師が自らの授業を本当に改善させる力になるもの(エネルギー)は何かを問い直し,これまで議論を重ねて,それは,「授業者の心(マインド)」と深くかかわる問題として受け止め,考察してきたことをいくつかまとめて述べてみたい。
2 授業が変わらない −その背景にあるもの−
(1)「学制」以来の学絞教育の役割
わが国の国民教育の幕開けは,「学制」(明治5年)1872年」の公布である。「必ず邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」と宣言した「学制」により,身を立て産を治め業を昌にして生を遂るゆえんのものとして学校を設置することを明らかにした。そこでの学校は,立身,治産,呂業のため身を修め,智を開き才芸を長ずることを学ばせるところと位置づけられた。
これは,福沢論告が「学問ノススメ」で述べている「一身独立して一国独立する」の教育思想と同質のもので,明治の指導者層が考えた「西洋文明に追いつき,西洋諸国による植民地化を防ぐ方途」は,学校教育による「国民教育」の推進・充