福島県教育センター所報ふくしま No.115(H07/1995.7) -008/042page

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共に最適なものはどれかをあれこれ吟味する。

 導入(第1時)では.選んだ教材をどう提示す るか,その時教師はどんな発問をどうするのがよ いか,子どもたちの反応をどう受け止め,それを どう生かしていくか,わずかの時間のこととはい え,教師の思いは幾重にも広がる。

 このように授業は,4つの要素から成り立って いるが,1時間1時間をとってみてもその中の1 コマ1コマを取ってみても,実際には極めて多く の事がらが微妙に絡み合い展開するのである。

 授業が変わらないのは,細かな,多くの事がらを組み替えて再構成していかなければならないからである。

 ある先生の授業が,いつ参観しても同じような展開になっていたり,導入の方法がワン・パターンになってしまったりするのは, 授業が「総合的な仕事」でなかなか変えにくい からである。

 授業の発問,板書,指示,机間指導など,どれひとつとして単独で成り立っものではないから,授業者が経験から学んだそれぞれの考え(方法)でそれらを組み合わせて,いかにもその先生らしい授業が行われているといえる。そういうことの積み重ね,日々の実践が,結果として「授業が変わっていない」「なかなか変わらない授業」ということなのである。

3 身近に見られる心に残る授業

 授業が変わらないということの背景にあるものについて述べてきたが,各学校の授業のすべてが旧態依然として変わらないというのではない。身近な学校で,小さな努力を積み重ね,いかにもその先生らしい人柄のにじみ出た授業を数多く見ている。

 ここではそれらの一部を略述して,授業の改善・充実を図る考察に移りたい。

(1)喜んで書く活動に取組めるようにする
           (小学校5年一国語)

 K教諭は国語教育の優れた実践を数多く積み重 ねていて,その指導力は同僚をはじめ多くの教師 から高く評価されている。しかし,彼にもまった く指導上の問題点(問題意識),担任する子ども たちに課題を抱えていないわけでもない。国語の 指導によい実践を重ねていく先生だからこそ,子 どもたちの国語力,国語の学習に求めるもの,寄 せる思いも並々ならぬものがあった。

 例えば,「文章を書くカの育成」の問題,今の子どもたちは読書も少ないが,書く事になると更に抵抗がある。国語の時間にかなりのウェイトをかけて「書く力」の向上に努めてきたが,なかなか成果を認めることができない。彼は,そこに着目し,もっと子どもたちが素直に書きたいことを書けるようになるような指導の工夫を考え,「自ら学ぶ子どもたちを育てるための生活体験の教材化」を図り実践した。

 事実に基づく表現,心の動きに即して子どもたちが自分の考えを素直に表現することができるようにするために,子どもたちの体験によって「しみじみわかる」というところまで「学びの質」を高めて「書くこと」の指導をしたいという強い願いを持って「養護学校との交歓会」を構想し,教材化した。これまでの生活経験で一度も体験できなかった子どもの内面の奥深いところを揺り動かす感動と驚き,そこから生まれる「畏敬の念」が

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