福島県教育センター所報ふくしま No.115(H07/1995.7) -011/042page
がわかり,どんな感想を持っているかなどいろい ろな視点から「見つめ,とらえる」努力をしてい くことが重要である。しかしこれほど多岐にわた る視点で「見つめ,とらえること」は難しいし, 不可能である。何かひとつを継続して「見ること」 により,子どもの学習への取り組みへの実態を具 体的な姿で理解できるようになる。
「見ること」から始まる 児童・生徒理解は,「看る」ことによりさらに深まる 。目で見ること に, 教師の手が加えられること,目と手で「看る」 こと,つまり,子どものノートを目で見ることに 加えて教師の手で○や朱書きが添えられることで ある。「良くできてるね」と頭をなでてやる。 「もう少しでできる,がんばれ。」と肩をたたい てやる。ちょうど母親がわが子の元気のなさを見 てとって「熱でもあるのか」と額の熱の具合を看 る。あの手である。手には母親らしい,わが子を 思う温かな心が込められ,母の手から母の優しい 心、が子どもに伝わる。
学校の授業,すべての教育活動においても教師が 自分の目で子どもをよく見つめ,その子の姿を目敏く見取り,積極的に教師の思いを込めた手をさし伸べることは,小・中・高等学校を問わず極めて重要な教師の仕事 である。授業で子どもが学習する姿をよく見つめ,あの子を,この子を何とかしたいと思う心を手に託して伝えていくこと,失敗したり成功したりすることなど,本当に些細なことに−喜一憂するか弱い児童・生徒に「うまくできたぞ」「すごいぞ」と肩をたたいてやること,「心配するな,この次がんばれ」と頭をなでて励ます教師の手には,その教師の子どもたちを思う心が込められている。子どもたちはそれを敏感に感じ取り.「先生は僕のことを心配してくれている」「応援している」と先生の思いを理解する。このように 教師が,自分の目と手で子どもたちを理解することは,教師の目と手を通して子どもたちが教師の思い,心を感じとること になる。児童・生徒と教師が相互に理解し合うことは,授業のみならず様々な教育活動の要諦である。
「授業が変わる」きっかけになるものは,このような児童・生徒理解に根ざした教師自らの「授業の再点検」ではないだろうか。「この子がここでこんなつまずきをしている。あの子はここができていない。何とかしなければ」「あの子はこの次こんなことに挑戦したいと思っている。何とか実現してやりたい」「授業はこれでいいのか。」教師のこんな思いの強さが,授業を変えるきっかけ,エネルギーになるのである。そして,この確かな児童・生徒理解が,教師自身の自己改革へのエネルギーになるものと考える。
(2)授業の何か1つを変えようとすること
先に2(2)で,授業は総合的な仕事だから変 わりにくい,変わらないと述べた。若い教師に, 授業の準備ができたかどうかを尋ねて,「板書は できたかな。」「板書ができれば,授業全体が見 通せたことなんだよ。」と先輩の先生が話す。板 書だけでなく,授業の1つ1つは,皆連動し合っ ている。従って, 授業は,何か1つ変えることに よってすべてが変わっていくことにもなる のであ る。
挙手した子どもを頼りに指名していた教師が,「手を挙げられる子どもとしか勉強していないようでおかしい。」「何とか指名の工夫をしなければ」と考えて,挙手を頼りにしない指名で授業を