福島県教育センター所報ふくしま No.115(H07/1995.7) -012/042page
進めることをいろいろ実践しているうちに授業の すべてが変わったと話したことがある。
その教師によれば,すべての子どもの学習への 参加を考えて,挙手をしなくていいこと,だれに でも話してもらいたいことなどを話して実際にそ れをやろうとすると,だれを指名していいかわか らない。だれでも話ができるようにするには,ど んな発問がいいか,子どもの反応をどう受け止め, どんな話し合いをして,どんな板書にするか,子 どもたちの考えをどうまとめていくかなど,多く のことにあれこれ思いを巡らすことになり,結局, 指名1つを変えようとする試みから,授業のすべ てが変わることになった という。
確かにそうなのだ。授業は「総合的な仕事」で ある。数多くの教師による働きかけは,児童の反 応,その他と絡み合い,連動し合っている。従っ て,子どもたちのために何とかして自分の授業の ここを工夫していきたいと 小さな1つの窓口から 授業の改善を試みようとすれば,授業のすべてを 変えていく ことになるのである。総合的な仕事だ から授業は変わりにくいが, 本当に自分の授業を 何とかしたいという1つの試みは授業のすべてを 変えること になる。
義務教育課発行の「基礎学力向上の手引」でも 各教科の授業改善のポイントが示されている。そ れらすべてを授業の中で実践していくことは土台 無理なのである。「手引」を参考にその中の 何か 1つでも改善へ向けて取り組むことが授業を根本 から変えていくことになる のである。
5 授業の改善を決定づけるもの
−授業者の心(マインド)一自分の授業の改善を決定づけるものは何か。それは,結局,授業者の心(マインド)であろう。
先に述べたように学校における子どもたちの日 々の生活や学習のあり様を自分の目と手で見つめ とらえ,子どもたちが求める学習への思いや願い をしっかり受け止めてこの子たちを何とかしたい と思い願う教師。彼には教師として,学ぶ子ども たちに寄り添い,この子らをさらに向上させたい と思う心にあふれている。このように子どもたち を何とかしたいと強く思う教師の心が,授業の何 か1つを変える。授業者の心を,今あえて「マイ ンド・mind」と言うのは, 目の前の子どもの学習状況に即して,この子を何とかしたい,そのために授業を変えなくてはと思う教師の心は,マインド (mind)であると考えるからである。
mind:日本語で言えば,気をつける,心配す るという意味である。 教師がひとりひとりの児童・生徒を思う心をどの子にも配っていく「心くばり」 ,それがmind−マインドである。あの子, この子をどうするかとあれこれ思い巡らし, 授業者として何らかの手だてを講じないではいられない教師の心 −マインドが 授業の改善の決め手 なの だ。
さらにつけ加えれば,授業の改善の決め手になる授業者の心(マインド)は,日々,どんな授業を目指したいのか,授業で実現したい授業像,何とか実現したい望ましい授業像と,子どもたちがどのように学ぶ姿を実現したいか,授業者としての夢やロマンの世界がどの程度のものかにも深くかかわるものと考える。