福島県教育センター所報ふくしま No.115(H07/1995.7) -013/042page
6 終わりに
今から2年程前に,ある広報係から依頼されて 実際に体験したことを次のように書いた。
あれは、もう、今から十年ほど前のことに なろう。
その日も無事終わって校舎の最終巡視を 始め、二階に行くと、一つの教室だけ明るく 電燈がついている。
「あれ、消し忘れたかな。」と思って、そ の教室に入ると、担任のS先生が紙粘土をい じっている。
「遅くまで大変だね。何がんばってるの。」 と覗き込むと、「あす、子供たちが自分の作 品に色づけするのですが、よく見ると、細か い所がよくできていなかったり、乾いてはが れてきたりしているので・・・。」と言いながら、 紙粘土のかわいい動物をひとつひとつ手に取 って補修している。「子供たちが時間をか けて一生懸命作ったけど、足の付け根などう まくできていないものが案外多いんです。色 付けしたくなくんばったり、こわれちゃって家 に持ち帰りたくなくなったりするのはかわい そうなので、きょうのうちにやっておこうと 思ってー。」と、彼が言う。
事実、糸でしかっと縛ることができずに足 がぐらぐらしているもの、構図は大胆だが、 細かい所には手が届いていないもの、これが 四年生のの作品かと思うほど、器用に作り上げ られているもの、思うようにいかなくて投げ やりなできばえになっているもの。ひとつひと つの作品が持つ表情は、本当に様々で、 それぞれがこのクラスの子供達の顔に見える。
間もなく八時過ぎようという二月の寒い 教室で、S先生のこの姿、あの言葉。これが、この クラスの一人一人の子供がいつも明るく楽し 学び、伸び伸び生活している源なのだと心 打たれ、熱くなった。
子供は、か弱い存在である。だから、苦し み、もがいている子供ほど、先生が自分のこ とを本当に心配してい、支えてくれていることを 敏感に受けとめ、先生を信頼し、だいじな人 と思うようになる。子供は、そこに、その先 生の真のやさしさ、あたたかさを感じ取って いるのである。