福島県教育センター所報ふくしま No.115(H07/1995.7) -014/042page
子どもの心・授業者の心
教 育 相 談 部
1 来所相談の窓口から見た子どもの姿
教育相談部に相談に訪れる子どもたちの中から何人かの紹介をしたい。
小学校6年生・A子
彼女は,現在保健室登校をしている。彼女が学校を休み始めたきっかけは,女子のグループの仲たがいの中で,周囲から無視されるようになったことに耐えられないというものだった。勉強で目立たない彼女が,勉強のできる相手に対抗するため,多くの級友をなびかせて張り合ったらしい。しかし,結果的に彼女のまわりから多くの級友が去っていった。
中学校2年生・B男
彼は,学校を休み始めて7か月がたつ。4 回目の相談あたりから「学校に行きたいけれ ども,まわりの目が気になる。休んでいた間 に勉強が遅れて心配だ」と訴え始めた。周囲 が気になることは,本人との相談や学級の受 け入れ体制の調整で何とかなるかもしれない。 残りは,学習面の遅れを補ってやることであ る。この点について,担任と連絡を取り合い, 相談を継続中である。
中学校3年生・C男
昨年来所していた彼は,一見したところ無気力を感じさせる生徒であった。彼の口癖は,「どうせおれなんか何やってもだめなんだ」であった。事実,彼の英語力はアルファベットがどうにか書ける程度で単語の理解はままならなかった。勉強がわからない彼は,常に教室で「お客様」扱いを受けていた。少しでも勉強がわかりたいと願う彼に教師は理解を示さず,彼は教師を憎い敵でもあるかのように思っていた。こうした中で,彼のやる気は減退していった。 こうした事例から,学校不適応は,授業の中で「わかる」とか「できる」といった学ぶ喜びを,−人一人の子どもに実感させる教師の心配りの不足が一因であると思われる。
一人一人の子どもの思いや願いをかなえ,学ぶ喜びを実感させるような授業を思いえがいたとき,どうしても忘れられない教師がいる。
2 一人一人の子どもを生かす授業
その教師は,中学校の社会科教師で教職につい て9年目を迎えていた。
彼は,教師になって5年を過ぎたあたりから, 漠然と今までの授業で本当にいいのだろうかとい う疑問や不安を持ち始めた。表面的に生徒が動い ていても,生徒一人一人は本当に満足しているの だろうか。教師だけの自己満足に終わっていない だろうか。教師が準備したものを生徒に示し,そ れを効率よく教え込んでいく。その教え込み方に 熟達していく一方で,生徒の目の輝きは失われて いったように思われ始めた。確かに,以前よりも テストの点数を高めることはできた。しかし,そ のことによる喜びよりも,生徒の目の輝きが失わ れていることによる落胆の方が大きくなってくる ような教職9年目であった。
* これまでの授業を振り返って
その年,彼は卒業生を送り出した後で新入生を担任することになった。そこで,生徒の目が生き