福島県教育センター所報ふくしま No.115(H07/1995.7) -015/042page

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生きとするような授業をしたいと思い,今までの 授業を振り返ってみることにした。その結果,自 分の授業について次のような強い問いかけを持っ た。

・今まで,教師の一方的な思い込みで,生徒が吸収しきれないような盛りだくさんの知識だけを準備してきたのではないだろうか。

・そして,その準備した知識を教え込む技 術だけを優先した授業をしてきたのではな いだろうか。

・そうした授業の中で,教師の考えた範囲 内の発言だけを認め,その他は無用だとし て切り捨ててきたのではないだろうか。

・ その結果,一見活発に見えて,その実一 部の生徒だけが主役となり,多くの生徒は 端投にしかすぎない授業をしてきたのでは ないだろうか。

・ このような教師の都合によってのみ授業 を考えていたから,生徒一人一人を「みる」 余裕がなかったのではないだろうか。

 彼は,4月いっぱいかけて彼自身の授業を見直してみた。その結果,1つの学級だけでも何人かの気になる生徒が浮かび上がってきた。

・ D男
 授業中にひとつのことに集中できず,外をぼうっと眺めていることが多い。指名しても返事がなく,やや斜に構えた態度をとる。

・ E男
 教師が指示したことは確実にこなすが,常に受け身で,知識を丸暗記することのみに没
頭する。

・ F子
 以前に学習したことは確実に覚えているが,人前で話すことには抵抗があり,自分の考え
など発表しない。            

・G子             
 社会科をまったくの苦手とし,教科担任を嫌う。機械的にノートはとるものの,教科担
任に対して拒否的な態度をとる。    

 こうした生徒の存在は以前から気になっていた。それは生徒自身の問題で,彼自身の授業づくりの問題とはまったく考えなかった。しかし,よく考えてみると,こうした生徒は,授業の中で「少しでもわかりたい」とか「自分も出番がほしい」といったそれぞれの思いや願いなどかなえられたことがなかったのかもしれない。そして,常に教師の働きかけに従順で,受け身の姿勢を強いられてきたのかもしれない。その結果,ある生徒はそのまま従順に,またある生徒は従順であることに反発して,先に整理したような学びの姿となっていたのかもしれない。

* D男らか生さる授業をめざして

 そこで,彼がめざしたのは,生徒一人一人の思いや願いを少しでもかなえる授業づくりである。とにかく,たくさんの知識教材を排し,D男らが少しでも身を乗り出すような教材を準備して授業をしようと考えた。

 鎌倉仏教を扱う時間にその考えを具体化した。お寺なら身近なところに必ずある。お寺にいって,生徒たちに宗派や開祖,主な内容を調べさせることができる。D男たちにもきっと抵抗なく,むしろ楽しみながら調べさせることができるはずだ,と考えた。そこでさっそく生徒の住む地域ごとに調べに行く班をつくり,各班の計画に沿い土・日曜日にかけてお寺訪問に出した。

 D男らの班は,D男が中心になって5人で出かけた。E男は,班の仲間が決めた計画にすべてお任せといった様子だった。F子は,仲の良い友人と一緒だったので楽しそうだった。G子は,教師


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