福島県教育センター所報ふくしま No.115(H07/1995.7) -018/042page
随想
『播州,備前への旅』
経営研究係長 横 山 康 洋
五月の連休 機会があって播州と備前を訪れた。姫路を起点にまず忠臣蔵で有名な赤穂に向かった。
赤穂城の中には大石内蔵助や義士を祀った大石神社があり,今も大勢の参拝客が訪れていた。映画会社や俳優の名前が記されたお供物が見られた。次に花岳寺という浅野家や義士の菩提寺に行ってみた。宝物殿の中央に殿様と内蔵助,左右に表門からと裏門から討ち入りした義士の木像が相対する形で置かれてあった。説明するおばさんが「内蔵助の子孫が今も健在です。」とか「義士の子孫が今でも墓参にまいります。」とか話していた。現在『吉宗』ブームだそうだが,綱吉の時代に生きた人々が今に語りつがれている現実を目のあたりにし,日本人の心に触れた感じがした。
赤穂といえばもう一つ有名なのが『塩』である海洋科学舘の敷地内に塩田が再現されていた。【揚浜式塩田】【入浜式塩田】【流下式塩田】と時代と共に工夫改善された塩田の姿を興味深く見ることができた。現在は【イオン交換膜法】という方法で工場で天候に左右されず大量に作れるそうだ。化学的に合成するのかと思ったら海水を使ってより合理的に『かん水』という濃い塩水を作り出すだけで,あとは昔と変わっていない日本独特の方法だそうだ。塩は塩辛いはずが塩田の塩は作ったひとの心がこもった甘い味が感じられた。
備前に向かい.途中有名な藤原啓記念舘で備前焼を見てから窯元めぐりをした。焼物など興味をもっていない者にとっても備前焼は窯変によって微妙に味わいに違いがある容器のすばらしさは,なかなかのものである。ふんばつして酒器を手に入れた。もちろん家に帰ってからすぐに使ってみたが,いっもより酔いがまわるのが早いので容量を調べてみたところ,普通の銚子よりも多くはいることがわかった。後日談である。
帰り道,岡山藩校である閑谷校に寄った。丸みを帯びた石塀が山の頂までのび,その中に備前焼の屋根瓦をのせた立派な講堂があった。武士の子弟ではなく庶民の子弟を,孔子に心の拠り所を求め教育した場である。
この閑谷校を見て会津の日新館を考えた。会津では今も日新館の建学精神としての『什のおしえ』が生きており,【ならぬことはならぬ】と徹底した教育を行っている。現在教育界を取り巻く問題が山積している時,私たちは原点にかえって【だめなことはだめ】という教育が必要であることの意を強くした。つい先日も病院の待合室で順番が待ちきれずにむずかる子どもを我慢させ毅然と叱ることなく,自由にきままにさせ,他人に迷惑をかけて平気でいる母親の姿を嘆く友人の話を聞いたが,これからはこのような母親の教育も考えなければならないことを併せて考えさせられた。先生方自身がこどもを毅然とした態度で育成すると共に保護者への教育にも思いを寄せることの大切さを感じた。
この旅を通して先人の心,先人の智恵に触れることができ,旅のよさを満喫できた。