福島県教育センター所報ふくしま No.116(H07/1995.11) -003/042page

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2 子どもたちが生さ生きと活躍する授業

 教師主導の一間一答式の授業からいかに脱却し, 文字通り子どもたちを学習の主体者として能動的 に活躍させる場面をいかにして創りあげるかとい うことは.今日の最も切実な実践課題の一つであ ろう。今回の学習指導要領の改訂によって,その ような意識が従来にも増して強化されたことは否 定できないが,学習者主体の授業づくりという課 題は,昭和戦後期の教育実残の中で一貫して追求 された問題であり,それほど目新しいことではな い。表現のしかたはともあれ,県内においても同 質の試みは,附属小・中学校などの実践をはじめ としてさまざまの地域で意欲的に行われてきたこ とは確認しておいていいであろう。(註2)

 いま,限られた紙幅のもとで,子どもたちの生 気あふれる学習活動が展開されている事例を,戦 後の実践史の中から一つ挙げるとすれば,兵庫の 井上和昌氏(以下T氏と略記)の「紙玉でっぽう はなぜとぶか」という小学3年生の理科の授業例 がそれにあたるだろうか。(註3)要は,過去のす ぐれた事例から何を学び,現代の教育実践にどう 生かすかという創造力の問題であろう。

 授業者のT氏は,授業の構想にあたって「この 学習展開で,私がいちばん頭を使っているのは, 目に見えない『空気』をどうとらえさせるかとい うことである。これは,『音』『光』『電気』な どの学習と並んで,理科指導のなかでも最もむず かしく,指導困難なものである。それだけに,こ れの認識形成が理科の学力を支配するとも考えら れる」ということを記している。そして,授業に 入る前に,子どもたちはおそらく,てっぼうの中 の空気が圧縮されて玉が飛び出すという考えと, 後玉が前玉に当たってそれが飛び出すという二つ の考え方に分かれるであろうという予想を立てる。 そして,その異なる考えをぶつけ合わせることに よって,「空気の性質」についての意欲的な学習 が生み出せるであろうと考えたという。ところが, 実際には前者の考えしか出ず,予想したような衝 突は生じなかった。そこで,とっさにT氏の方か ら対立する考え方を出して,子どもたちの考えを 徹底的に揺さぶろうとしたのだという。「空気が 圧縮してというが,それは少しも目に見えないで はないか」という授業者の挑発的な問いかけに対 し,子どもたちは共同で知恵を絞りながら,いわ ゆる「水中置換」に似た実験を思いついたという。 泡を試験管の中に補集することに成功した後のや り取りの一部分を示すことにする。(授業記録の 平仮名表記を漢字に一部書き改めた。)

 この前後の詳しい記録は,残念ながら割愛せざるを得ないが,授業者から出される疑問に具体的 証拠を一つ一つ示しながら反論し,相手を説得しようとして躍起になっている子どもたちの意欲的な活動の様子の一端は,引用部分からも読み取る


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