福島県教育センター所報ふくしま No.116(H07/1995.11) -005/042page

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 めに水に飛び込んだんじゃないですか?

 このように,M氏の場合は,子どもたちの生活 実感を多様に引き出したり,テキストに立ち戻っ たりしながら,生徒発言を肯定的・共感的に受け 止め.子どもたちが安心して発言できる場面を保 障して授業を展開していることがわかるであろう。 また,それらの発言をきっかけにして生徒たちは, 読みの学習への自信もつけ,次の学習への意欲や 発展的な構えを見せていることは,授業後の生徒 の多くの感想文や別の作品を扱った実技事例など からも読み取ることができるのである。

 ただ,M氏のこのような授業の進め方に対して 批判がないわけではない。批判の中心は,子ども たちの活発に見える反応も授業者の巧みな技術に 誘導された結果であって,作品を自力で読み深め ていくための読み方,あるいは読みのセオリーを 子どもたちの中にそれほど形成していないのでは ないかという点にある。(註6)また,自分とは異 なる見方や考え方が対立し,衝突し合う中で解釈 がさらに深まることが多いはずなのに,その点も 避けているのではないのかという疑問も提起され ている。一つの作品を媒介にし,互いに学び合う ことの難しさと面白さを,もっと豊かに子どもた ちに与えるべきではないのか,と言い換えてもよ いであろう。各自の考えを積極的に話し合うこと で授業の活性化が図れるのではという先の高校生 の投書の問題も,実はそこにつながるであろう。

4 おわりに

 学習主体の能動性を高め,子どもたちが主体的 に活動する授業を創り出す手立てを.いま理科の 授業や国語の授業をもとにしながら,二,三考え てみたわけであるが,最後にふれた国語の実践に かかわる課題は,ひとりM氏だけの問題ではない であろう。批判の内容は,学習者の実態や学習能 力の把握,学習者の立場に立った教材研究の必要 性,あるいは学習内容の系統性や各教科の授業論 の比較検討,学習評価の観点や方法上の問題,指 導の定式化など,さまざまな課題を含んでいるも のである。基礎学力の向上や授業内容の質的改善 を図る上で,これらの課題はI氏の理科の実践内 容の検討と合わせて考察すべきことであろう。

《註》

  1. 石井順治 『子どもが自ら読み味わう文学の授業』 明治図書,1995
  2. 渋谷・高野他編 『戦後国禁教育実践記録集成・東北編第1巻』 明治図書,1995
  3. 東井義雄 『東井義堆著作集別巻2』 明治図書,1976
  4. 波多野誼余夫編 『自己学習能力を育てる』  東京大学出版会,1980
  5. 無着成恭『無着成恭の詩の授業』 太郎次郎社,1982
  6. 拙稿「詩教材の授業方法の検討―無着氏の授業と大西氏の批判を中心に―」福島大学国語学国文学会編 『言文』42号所収,1994

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