福島県教育センター所報ふくしま No.116(H07/1995.11) -005/042page
めに水に飛び込んだんじゃないですか?
- T; なかなかいいです。 そうかもしれません。 でもなぜ,水はつるつるなんですか? (沈黙)
- T;冬,ものすごい冷たい水に手を入れたことある人?
- T;どんな感じだった。
- C;ものすごく冷たくてシビレル感じ・・・・
- C;感覚がなくなる感じ・・・・
- C;痛いような,チクチクする感じ。
- T; よしよし。その通りだ。 ものすごく冷たい水にはトゲがあってというか,カドがあって,皮膚をチクチク刺すような感じなんだ。その水がつるつるしたというのは・・・・?
- C; わかった。 水がまるくなったということだ。
- C; そうだ。わかった。 冷たい水が,温かくなったということだ!
- T; そうだよ。 これを,水ぬるむっていうんだ。 《みずはつるつる》 というのは,・・・・(以下略)
このように,M氏の場合は,子どもたちの生活 実感を多様に引き出したり,テキストに立ち戻っ たりしながら,生徒発言を肯定的・共感的に受け 止め.子どもたちが安心して発言できる場面を保 障して授業を展開していることがわかるであろう。 また,それらの発言をきっかけにして生徒たちは, 読みの学習への自信もつけ,次の学習への意欲や 発展的な構えを見せていることは,授業後の生徒 の多くの感想文や別の作品を扱った実技事例など からも読み取ることができるのである。
ただ,M氏のこのような授業の進め方に対して 批判がないわけではない。批判の中心は,子ども たちの活発に見える反応も授業者の巧みな技術に 誘導された結果であって,作品を自力で読み深め ていくための読み方,あるいは読みのセオリーを 子どもたちの中にそれほど形成していないのでは ないかという点にある。(註6)また,自分とは異 なる見方や考え方が対立し,衝突し合う中で解釈 がさらに深まることが多いはずなのに,その点も 避けているのではないのかという疑問も提起され ている。一つの作品を媒介にし,互いに学び合う ことの難しさと面白さを,もっと豊かに子どもた ちに与えるべきではないのか,と言い換えてもよ いであろう。各自の考えを積極的に話し合うこと で授業の活性化が図れるのではという先の高校生 の投書の問題も,実はそこにつながるであろう。
4 おわりに
学習主体の能動性を高め,子どもたちが主体的 に活動する授業を創り出す手立てを.いま理科の 授業や国語の授業をもとにしながら,二,三考え てみたわけであるが,最後にふれた国語の実践に かかわる課題は,ひとりM氏だけの問題ではない であろう。批判の内容は,学習者の実態や学習能 力の把握,学習者の立場に立った教材研究の必要 性,あるいは学習内容の系統性や各教科の授業論 の比較検討,学習評価の観点や方法上の問題,指 導の定式化など,さまざまな課題を含んでいるも のである。基礎学力の向上や授業内容の質的改善 を図る上で,これらの課題はI氏の理科の実践内 容の検討と合わせて考察すべきことであろう。
《註》
- 石井順治 『子どもが自ら読み味わう文学の授業』 明治図書,1995
- 渋谷・高野他編 『戦後国禁教育実践記録集成・東北編第1巻』 明治図書,1995
- 東井義雄 『東井義堆著作集別巻2』 明治図書,1976
- 波多野誼余夫編 『自己学習能力を育てる』 東京大学出版会,1980
- 無着成恭『無着成恭の詩の授業』 太郎次郎社,1982
- 拙稿「詩教材の授業方法の検討―無着氏の授業と大西氏の批判を中心に―」福島大学国語学国文学会編 『言文』42号所収,1994