福島県教育センター所報ふくしま No.117(H08/1996.2) -018/042page
随想
娘が「魂の不滅」について訊ねたとき
学習指導係長 赤 塚 公 生
よもやの「不登所」
5年前の春,私は4歳半になった娘を近所の保 育所に入れた。いわゆる「2年保育」である。
娘は,快活で人見知りのしない性格に見えた。近所に同年輩の子どもがいないこともあり,仲間との遊びの経験は少なかったが,取り立てて心配する必要はないように思えた。
だから,一週間も経たないうちに「もう,絶対行かない」と言い出したときは,家族中がびっくりして考え込んでしまったのである。
実は,親が「人見知りしない性格」と思ったものは,そばに親がいて初めてそうなっていただけだったのだ。新しい環境に戸惑い,すぐめそめそするために,娘は「泣き虫」と叱責され,ますます自信を失って,−人涙をこぼしていた。
私は,保育参観に行き,担任の先生と話し合ったり,隣の席の子どもさんを自宅によんで遊んでもらったりして,事態を改善しようと努めた。
「お父さん,人間の魂は不滅なの?」
土曜日の夜,保育所まで迎えに行き,私は娘と市内の児童公園に出かけるようになった。明るい楽しい気分にして,元気を出させようと考えたからである。遊び疲れた帰りに,ハンバーグランチやアイスクリームを食べるこの小ピクニックは,娘にとっても楽しいひとときであったようだ。
ある時,帰りの車の中で,娘は,満足し甘えたような口調で,突然私に訊ねた。
「ねぇおとうさん,ニンゲンのタマシイって,ほんとうにフメツなの?」
私は,5歳にもならない娘が人間の「魂の不滅」 について考えていることに少し驚き,次に父親と しては,古代ギリシャ以来の哲学的疑問が幼児の 心にも宿ることに,少なからぬ満足感を覚えた。
「なかなか難しい問題だな。確かに,死んでし まえば,実際はもう話もできないし会えなくなる。 しかし,魂が存在し続けるかどうかは……」
それからしばらくして,苦しい時期は終わりを つげた。娘は,次第に環境に適応し,友達にも恵 まれて,程々に快活な小学3年生に成長した。
ある日,娘を乗せて車を走らせていた私は,ふと「魂の不滅」の話をしたことを思い出し,どうしてそんなことを考えたのか娘に訊ねた。
「だって!……あのころわたし,わたしは本当 に死にたかったんだもの!」
私は,思わず絶句した。多分,私は顔がひきつり,ハンドルを持つ腕は強ばっていたことであろう。娘は,たとえ死んでも「セーラームーン」のように魂が不滅ならば,児童公園にも行けるし,ハンバーグランチもアイスクリームも食べられると考えていたのである。毎日泣きながら苦しんでいる娘が,アニメにヒントを得て,「魂の不滅」に託した気持ちが,私にはまるで分かっていなかった。
以来,私は「子どもの心の理解」と言おうとすると,微かなためらいを感じるのである。