福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.119(H08/1996.11) -006/042page
子どもからの出発
〜目の前の子どもの姿から教員研修を考える〜教育センター教育経営部
◇ はじめに
初めてのことばかりで戸惑いを感じるがそばに生命を感じながら仕事ができることはすばらしいことだ。 かわいい子どもたちのためと思えば、忙しさも苦にならない。 一人一人に合ったし指導、分かりやすくて楽しい授業、何でも話し合える学級、子どもたちの成長に負けないように私自身も成長していかねばならない。
これは教壇に立って数ヶ月経過した新任教員の感想です。
現在、学校教育は、さまざまな課題に当面し早急な解決を迫られています。
その渦中にあって、来る日も来る日も、私たち教師は子どもたちの教育に携わっています。 日々の授業の進め方、生徒指導上の複雑な問題など、毎日が多忙で悩みもたくさんあります。 それにもかかわらず、教師という仕事はすばらしい仕事だ、やりがいのある仕事だ、教職の道を選んでよかった、これからも続けていきたい、という先生が大半のようです。
私たち教師の究極の喜びは、目の前の子どもたちがそれぞれの個性を発揮し、自己の天分を燃焼させるのを見るときではないでしょうか。 そのためには、私たち教師は、豊かで確かな指導力をふだんから培っておかなけれがならないように思います。 と同時に、子どもたちの前に立ったときには、一人一人の子どもの想いや内に秘めた光るものをきちんととらえるだけの感性を磨いているべきではないかと思います。
このように、教育という営みが教師の確かな指導力や豊かな感性によってこそ、子どもたちのもつ可能性を開花させることになるのであれば、教師は、 必死になってそれらを磨く努力を惜しんではならないといえるのではないでしょうか。 今叫ばれている「教員研修の充実」も、実はこのような考えにもとづくものととらえていく必要があるやうに思います。
ともすれば、私たち教員の研修は、教育にかかわる議論が、議論のための議論となり、研修したことが具体的に目の前にいる子どもたちに どのように生かされていくにかということを忘れていることが往々にしてみられるようです。 また、教育にかかわる実践が、実践のための実践になり、何のための実践であるのかがわから