福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.119(H08/1996.11) -007/042page
なくなってしまっていることはないでしょうか。
学校教育の主体者はまさに私たちの目の前にいる子どもたちであり、私たち教師の一挙手一投足は、自分の目の前にいる子どもたちのもつ優れた能力を掘り起こすことにほかならないといっても過言ではないと思います。したがって、私たち教師が研修によって自らの資質を高めるのは、目の前の子どもたちの想いや願いが叶えられるようにすることと、とらえていかなければならないように思います。いくら研修を積んでも、それが日々の教育実践に生かされ、子どもたちの姿に反映されなければ研修の意義や価値は見い出せないように思います。私たちの研修は、子どものためにあることを常に意識し、研修内容の一つ一つが子どもにとってどんな意味をもっているかを考えながら研修を進めるとともに、その成果を毎日の教育活動に生かし実践していくことが必要であると考えます。
教員研修をこのようにとらえると、私たちの進める研修は、自分の目の前の、多様な姿を見せる子どもの現実を、確かに見つめとらえることから出発しなければならないように思います。
1 目の前の子どもからの出発
私たちの研修のスタートは、まず目の前の子どもの現実の姿を確かに見つめとらえることから・・・ということを今、述べました。
昔から、教育に携わる者の心得として、「子どもと共に」ということが広く言い伝えられています。「負うた子に浅瀬を教えられる」という古い例えを引き合いにだすまでもなく、「子どもの事実から学ぼう」ということは、教育者の常識ととらえていかなければならないと考えます。
(1)子どもを見つめる
ある小学校の校内研修のレポートの結びに次のような記述がありました。
・・・今、教師に求められていることは子どもと同じ眼の高さに立って考え、子どもも一人一人を生かし、できた・分かったという手ごたえを感じさせることである。そのためには、常に『子どもが見える教師』たるべく努力していきたいと思う。
私たちの目の前の子どもたちの姿を追ってみましょう。案外子どもの姿を見ているようで見届けていないのではないでしょうか。
《日々の生活で》
〇「朝、あの子は誰と登校、どんな顔して?」
〇「休み時間、あの子は誰と一緒? どんな遊びを? 独りぼっちになっていない?」
〇「清掃、あの子はどんな清掃の仕方?」
〇「給食、あの子はどんな食べ方を? 何が好きで何が嫌い?」
〇「帰り、あの子は誰と一緒? どんな習いものをしているの?」
〇「帰った後の、あの子の机の中やロッカーは?」
〇「いつも乱暴な言動を繰り返しているあの子は、なぜそうしているの?」等々