福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.119(H08/1996.11) -010/042page
たちの想いや願いをしっかりと受け止めて、この子たちを何とかしたいと想い願う教師は、教師として、学ぶ子どもたちに寄り添い、この子らをさらに向上させたいと想う心にあふれていることでしょう。
このように『何とかこの子をこんな姿に変えていきたい』と強く想い願う教師の情熱が、「子どもを変える」ことにつながるのだと確信します。
「この子を変えたい」という教師の強い願いを実現するためには、これまでの自分の指導の在り方を振り返ることから始まらなければならないように思います。 『この子をこのように変えたい』という教師の想いは、その教師のめざす「望ましい子ども像」そのものであり、この子の現実の姿を見て、自分の指導の足りなさに気づき、教師自身が自分をかえる意識をもち 「今までとは違った自分」になることを目指さなければ、目の前の子どもを変えることはできないと思います。 まさに、「進みつつある教師のみ、人を教える権利あり」です。
このように考えてくると、私たちの進める研修は、まずは目の前の子どもの姿を教師自身の問題として受け止め、子どもの見せている現実の姿をどのように変えていきたいのかをしっかりと見定めて自己研修の課題を見い出していくことから出発することが大切であると考えます。
(3) 教師自らが変わる
どの学校の先生方も、校内研修等に意欲的に取り組み、教育の本質を追及し、よい授業を創造することに努めてきています。 そこでは、すべての教師が同じ主題のもとに内容を授業研究等を通して全教師の資質の向上を図ることを目的として研修が進められてきたように思います。
しかし、その研修の進め方を振り返ってみると、案外、教師自身の資質の向上をめざす研修にウェートがかかりすぎ、教師と子どもとの関係から研修を考えることが不足していたのではないでしょうか。 また、授業研究等では指導法や指導技術面の追及が主となり、1単位時間程度の授業研究で結論を出そうとしたり、授業実践のマイナス面については、どちらかというと研究計画の問題としたりして、 真の意味で自分自身の問題として追及するまでには至らなかったのではないかというような反省も多くみられるようです。
教員研修の基本は、あくまで教師一人一人の自己啓発・自己研修を重視すべきであると考えます。 また、目の前の一人一人の子どもに眼を据えて、一人一人の子どもの姿から研修課題をとらえ、その課題解決に結びつくような研修がのぞまれているものと思います。
例をあげると、「自分の発問に対して反応が少ない」A男やB子が特に気がかりならば、そのことを今、最も必要な研修課題として取り組むことが必要ではないでしょうか。 目の前の子どもの問題は、教師自身の問題でもあるのですから、「発言しようとする気心をおこさせるにはどうしたらよいにか」が、自分の研修課題になるでしょう。 ここで教師は、発問の対する自己研修の中から、