福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.119(H08/1996.11) -013/042page
向上の問題等、学校が直面している教育問題は極めて多様です。私たち教師は、これらの教育課題に生対し、日常の教育活動を通して確かな教育実践の積み上げを図るよう全力を注いでいきたいものです。
(2)目の前の子どもに応える「教師の心(マインド)」
専門的な知識・技術は私たち教師の専門性の中核をなすものであり、それを備えているということは、教師の第一要件です。しかし、それだけでは十分ではなく、それを行使する教師に人間性が備わってはじめて、専門的な知識・技術が真に生きて働き、子どもの心にくい込みゆさぶる授業や、子どもの全人的発達を促すような教育が展開されるものととらえていくことが大切であるように思います。
私たち教師の専門的な知識・技術に血を通わせ、それを生きて働くようにさせる人間性とは何でしょうか。それは、教師の心(マインド)と言い換えることができるように思います。
教師の心(マインド)とは、一人一人の子どもをかけがえのない人間として尊重し、その成長発達の可能性を信頼することができる心、そして、子どもの声に耳を傾け、子どもの気持ちを共感的に理解できる心、どの子どもをも無条件に受容できる心、どこまでも指導を諦めず決して見捨てない心など、教師として目の前の子どもを想う心をどの子にも配っていく「心くばり」のことです。
このような心(マインド)をもって子どもに接する教師は、思いやりがあり、優しく、親切で、温かい先生として感じられるだけでなく、「私のことをわかってくれる先生」「私のことをよく見ていてくれる先生」として、子どもに信頼感を育ませることができると確信します。
自己研修の一つにぜひ私たちの心(マインド)の自己育成を掲げて努力していく必要があると強く感じます。◇ おわりに
私たち教師の仕事は、子どもたちの人間形成にかかわる重要なものです。子どもたちにとって、日々をともに過ごす教師の影響は、はかりしれないものがあります。自分の言動が、子どもたちの人間形成にかかわるとなると、恐ろしくさえ感じます。
どんなに優れた教師でも、それほど完璧な人格者にはなれないし、教職経験の浅い教師にとっては、自分の一挙手一投足が子どもの生きた教科書になると思うと、一瞬ひるまずにはいられないのではないでしょうか。この畏れとこの厳しさを感じるとき、教師は自分の良心にかけて自己研修に努めざるをえない気持ちになるのではないかと思います。
私たちの目の前の子どもたちは、本来自分自身を伸ばしていく存在であり、共に伸びようとする者が、最も善い感化を与えることができると考えます。今、私たちがめざすべき教師の姿は、完成された人格とか、子どもに何かを教える人というのではなく、今なお未完成ではあるが、絶えず自分自身を向上させようとする求道の姿なのではないでしょうか。